色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年:村上春樹

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小説

やはり、この小説にも触れておく必要はあるね。どうしても。こんな形での閉塞した今を受け入れていくのに何が必要かと色々考えたけど、僕には、やっぱり、慣れ親しんだ本をもう一度読んで、そこから勇気らしきものをもらうしかないね。そんなオタク的な闘い方だって、あるだろう。生きていくために。

多崎つくる

本の帯の裏の記載に、村上春樹がこう書いている。ある日、ふと思い立って机に向かい最初の数行を書いたと。どういう展開になるのか全く分からないまま半年が過ぎたと。そして、最初のうち僕に理解できていたのは、多崎つくるという一人の青年の目に映る限定された世界の光景だけだったと。そのようなこの小説の一番最初の数行はこんな感じだ。

大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた。その間に二十歳の誕生日を迎えたが、その刻み目はとくに何の意味も持たなかった。それらの日々、自らの命を絶つことは彼にとって、何より自然で筋の通ったことに思えた。なぜそこまでの一歩を踏み出さなかったのか、理由は今でもよくわからない。そのときなら生死を隔てる敷居をまたぐのは、生卵を一つ呑むより簡単なことだったのに。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

村上春樹風に言えば、つくるは、最初の一文からして、損なわれていたのだ。だから、この小説は、そこからのある意味、脱却の物語。

色彩

誰もが知っていることですが、この小説の登場人物には色が割り振られています。そして、その色がその人物の性格等を表現しているようになっています。多崎つくるの周りには色彩を帯びた人間が多く登場します。

灰田と緑川

つくるの新しい友人である灰田の父と緑川というジャズピアニストの話にこんなところがある。

人間には一人ひとり自分の色というものを持っている。体の輪郭に沿ってその色がほんのりと光っているのが緑川は見ることが出来る。緑川はあと1か月後に死ぬのでその能力を持ったという。このあたりが、この小説では村上春樹らしい現実離れした話になる。なので、ここは色と死をクロスオーバーさせており、面白い話となりますね。

緑川はある種の色を持った、ある種の光り方をする人間を探していた。そして、灰田(父)を見つけた。死のトークンをその見つけた人間に譲り渡せば死なずに済むというリングのような話なのである。しかし、緑川はその時にはそのトークンを誰に渡すつもりはなく、静かに死んでいきたいとその二日後、その旅館を去っていったという。その後、消息は不明だという。

名古屋時代の友人4人

この4人との関係が、この小説のあらすじのベースとなるね。

多崎つくる(36)は高校時代、4人の友人といつも行動を共にしていた。5人は名古屋市の郊外にある公立高校で同じクラスに属していた。多崎は大学を卒業後、東京の鉄道会社に就職し駅舎を設計管理している。ある時知り合った大手旅行代理店の木元沙羅(38)と交際関係になり、高校時代に仲の良かった4人の友人ことを話す。大学2年生のときに突如、絶交を言い渡されたことも。沙羅は、なぜ4人から絶交されたのか「そろそろ理由を聞いてもいいんじゃないか」と言う。4人の友人の名はそれぞれ色のついた苗字を持つ。つくるは、4人に会いに行く。自分がこの4人に突然拒否された真相を知るために。

アカー赤松慶(あかまつ・けい)

アオー青梅悦夫 (おうめ・よしお)

シロ―白根柚木(しらね・ゆずき)

クロ―黒埜恵理(くろの・えり)  

シロは殺されていた。その犯人は不明。ブログの幾つかには、シロの父親が犯人だとか木本沙良はシロの姉だとの指摘もありますが、うーん、それはそうだろうか?そうでない方がいつもの村上春樹の不明エンドで良いんではないですかね。最初に書いたように、この小説は、最小から行き当たりばったり風で始まったものであり、論理的な帰結に持っていくのは難しい感じがするね。

巡礼の年

音楽好きの村上春樹が、何故か、1つだけ作品に出したのは。

ある日、つくるのアパートに遊びにきていた灰田が、1枚のレコードをかけました。それがフランツ・リストの「巡礼の年」。どこかで聴いたことのある曲に、つくるの心は揺れ動きます。そして、フィンランドで、エリに逢った時も、やはり、「ル・マル・デュ・ペイ」が流れる。

第1年《スイス》 S160: ノスタルジア(ル・マル・デュ・ペイ)
ラザール・ベルマン

つくるが高校生の頃、ピアノが得意だったシロがよく弾いていたのが、この「巡礼の年」に収録されている「ル・マル・デュ・ペイ」なのだ。シロであるゆずはとても美しく気持ちを込めてこの曲を弾いた。この「巡礼の年」は、灰田とシロという2人の人物に絡みます。糸のようなものでしょうか?

つくるに救いはあったのか

真相を探す旅に出るつくるに、多分、救いはあったのではないか。

多崎つくるには色彩の色がない名前でそれを卑下し自分の個性もないと思っているが、関係するすべての人がつくるには個性がしっかりあり、それは多くの色に彩られて、そして、彼を大事に思っていた。逆説的ではあるが、クロがシロのために大きな悲劇にならないように、別の悲劇をつくるに持ってもらったのも、ある意味そういうことなのだろう。だから、この旅で、つくるは自分にとっての救いは十分にたあったのだろう。彼は、損なわれていなかったのだ。

人は何気ない言葉で人を傷つける。自分の知らないうちに。そして、人は勝手なものだから、自分だけ傷ついたと思ってしまう。しかしながら、相手も相当傷ついていることが多い。

僕はこれまでずっと、自分のことを犠牲者だと考えてきた。わけもなく過酷な目にあわされたと思い続けてきた。そのせいで心に深い傷を負い、その傷が僕の本来の流れを損なってきたと。正直言って、君たち四人を恨んだこともあった。なぜ僕一人だけがこんなひどい目にあわなくちゃならないんだろうと。でも本当はそうじゃなかったかもしれない。僕は犠牲者であるだけじゃなく、それと同時に自分でも知らないうちにまわりの人々を傷つけてきたのかもしれない。そしてまた返す刃で僕自身を傷つけてきたのかもしれない。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年:村上春樹

そして、それは、クロ(=エリ)に別れ際につくるが言ったことに繋がるのだ。

僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない。

と。

そういうことで、自分も遥か昔の学生時代の仲間で今は付き合いをしていない人を思い出してみよう。今は、県を超えることもままならないが、もし安定に向かうようになったら、つくるのように、失ったかもしれないことや誰かを傷つけたことなども含めて、旅をして、自分とその人達のことを考えてみても良いかもしれない。確か、ハリウッド映画でも、こんなのあったね。

勇気をこの本から貰えたかというと、この本は再生のための物語なので、そういう面で、勉強になったような気がします、です。自分に救いを与えるためには、人との関係でどうあるべきかを知った感じがします。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫) (日本語) ペーパーバック – 2015/12/4

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