あっちの手前:ショートショート

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ショートショート

昔、赤のビートルに乗っていた。そう、フォルクスワーゲンビートルだ。カブトムシの形をした車だ。ヒットラーが大衆の車として製作された可愛い車である。

購入したのは会社に入社した2年目あたりでなかったかと思う。その当時人気のあった「カー雑誌」の後ろのページに記載されていた個人売買欄を見て、個人対個人で購入を決めた。

その車の持ち主は神戸に住んでいて、売買契約が口頭でなされた翌週に、彼の友人と一緒に当時に私の赴任地であった岐阜まで、そのワーゲンビートルに乗って持ってきてくれた。

雑誌の写真の通りの赤い丸みを帯びた車だった。どうしても乗りたい車であった。フォルムそのものに何故か人間らしさを感じていたし、優しい感じが好きだったのだ。多分。その流れで、テールランプも楕円形の小さいのではなく、それなりの大きさのランプに拘っていた。

思っていた通りのビートルだったので、即金でかなり高い金額をキャッシュで手渡した。男達二人は本当に嬉しい感じで、喜んでいた。つまり、思った以上に高く売れたわけだ。

それから、俺はこの赤いワーゲンビートルに乗りまくった。会社から戻ってからも街の周辺を、土日は当然遠出をし、この車に少しずつ馴染んでいった。

エンジンが空冷であることも購入した理由の一つであるが、走っている時のそのエンジンの乾いた音がとても心地よかった。エンジンは後部にある。フロント部分はトランクなのだ。それも、好きなことの1つでもあった。

段々と、エンジンの音で、その日のこの車の調子が判ってくるような感じまでしてきた。

毎日、このビートルと一緒にいることで、俺の中の何かが変わっていったような気がする。

俺は学生時代からトヨタの中古車に乗っていたが、違うのだ。この車もそれなりにいい車だったけど、ビートルに比べたら、機械であることをかなり感じた。

それに比べて、ビートルは機械である前に、人間的であった。それがどこから来るのかよく判らなかったが、毎日の接触の中で、俺の肌に沁み込んできやがっていたのだ。

だから、俺は、いつの間にか、ビートルと一緒にいることが多くなっていった。時々、壊れて、修理に出すこともあったが、それも可愛いものだと思っていたくらいだ。ちょっと、機嫌が悪いな、近頃とだけ思っただけだ。

若かったから、女の子を追いかけもしたし、時折は、女の子を助手席に乗せて、遠くまで走った。一番行った場所は、夏は太平洋側の海で、冬は日本海側の海だった。ビートルは、海に行くと、何故か、元気だった。信じられないが、潮風と相性が良かったのかもしれない。

ワーゲンビートルにサーフボードを積むと、それだけで、ポパイ風に、トラッドであったのだ。あの頃は。だが、海風も女の子も夏の日差しも良かったけど、ビートルと一緒に居れることが何よりも嬉しかったのかもしれない。

それから、山の中にも入っていった。岐阜の奥にある徹夜踊りの郡上踊りで有名な郡上八幡にも出掛けた。その先にある岐阜県の古都とも言える高山にもしょっちゅう通った。ビートルは俺の足のように頑張ってくれたのだ。夏から秋にかけての山の緑も陽を浴びて輝いていた。

ある時のことである。今でも、その時のことは夢に出てくることもある。

当時は平和の世界で、まだまだ会社に運動会やスポーツ大会などの親睦会が良く開かれていたのだ。社員間の友好のために、そんな福利厚生の行事が行われていた。

秋の土曜日であったはずだ。市内から結構離れたところのグラウンドらしきところで、ソフトボール大会か何かが行われたはずなのだ。随分と昔のことなので、何が開催されていたのか記憶から消えている。

しかし、一つのことだけはしっかりと覚えているのだ。それは些細なたった数秒のことなのだけれど、俺が今生きていることに繋がる出来事の一つであると年を経れば経るほど、確信に近くなっていくことなのだ。

くだらないただのどうってことのないことなのだけれど、もしかしたらと、良く近頃は頭に浮かんでくることなのだ。

あなたにもそういうことってないだろうか?

それは、こんなことだった。

俺は、土曜日の朝、少し寝過ごしてしまったのだ。前日に遅くまで酒を飲んだからに違いない。そして、慌てて、朝飯も食わずに、会場に、ビートルに乗って、出掛けたのだ。天気は秋晴れで気持ちの良い朝だ。ビートルのエンジンは絶好調だったように思う。

ここまでは、普通の話。ここからのことなのだ。往きの道路も空いているし、問題はなかった。ようやく、現場のグランドあたりに到着した。道路の両側には、ぼうぼうの高い草がいつの間にか、生えていた。そこの一本道を通り過ぎれば、目的地だ。

突然、ゲートが見えた。その向こうには、駐車場のような空き地があり、更に遠方にグラウンドがあるようだった。車もかなり先に何台か止めてあった。

取敢えず、そこまで行こう。俺は、赤のビートルのアクセルを強く踏んだ。この車に乗っているところを見せたいという気持ちがあったのは間違いない。カッコ良く車を持っていき、急停車をしよう。そんなことを一瞬にして思ってしまった。

ビートルの乾いたエンジン音がカラカラと、大きくなった。機嫌が良いようだ。数十台の車が駐車しているあたりに近づくと、右側に2台くらいの車を止められるような四方の鉄柱に屋根だけのついたブチ抜きの駐車スペースが見えた。その向こうに、グランドがあるに違いない。

俺は右に急ハンドルを切った。キィ、キィーとタイヤが鳴った。気がする。俺はそのまま、急スピードでそこに向かって、飛び込んでいった。

そして、屋根があるだけのそこのスペースに真直ぐに突っ込んでいった。その向こうにあるグランドまで、そのまま、そこを通り過ぎてしまえ、と思ったのだ。

だが、俺は、急ブレーキを何故か、かけた。体が、前に、つんのめった。その頃は、シートベルトなど、着けることなど、全くなかった。

ビートルは急停車した。俺は顔を挙げた。

俺は驚いた。目の前にグランドがあるのではなく、目の前の下側にグランドがあったのだ。水平直線上にグランドはなかったのである。

俺は運転席から降りた。

降りて、更に、驚いた。ビートルの止まったすぐ先には地面はなく、3メートル以上下に地面があった。右側に階段があった。つまり、ちょっとしたセメントで出来た崖だったのだ。

俺はそのまま走っていたら、落ちていたのだ。確実に。そう、ビートルの頭から突っ込んでいたはずだ。

背筋が冷やりとした。多分、ビートルのフロントガラスは弱いからそこを突き破って俺は車と3メートル下の地面に挟まって死んでいたであろう。

ブレーキを何故かけたのか、良く判らない。今となっては。自分の心の中では、屋根だけのある駐車スペースとその向こう側は水平に地続きになっていると思っていたのに。

車が止まるまでの瞬間。それから、俺は車から降りて、向こう側にある景色を見た。会社の連中がたくさんいた。明るい日差しの中、皆、笑って談笑をしているようだった。

ビートルの車輪と駐車スペースの端までは、50センチもなかったろう。ギリギリだったのだ。

「おーい。遅かったな。早く、降りて来いよ。試合が始まってるぞ。もう」

向こうの方から走りかけてきた先輩社員が、下から俺に声をかけてきた。

俺は、申し訳ありませんと言い、すぐに階段を下りたのだった。

そして、その時のことをすぐに忘れた。

あれから、長い月日が流れた。そして、まだ、俺は生きている。

このことを思い出すと、俺は助けられたのかなとも思ってしまう。本当に、あっちの世界とこっちの世界を区切るものは、こんな少しのところなのかもしれない。俺は死ななかった。これは運なのだろうか。自分の命の時間が尽きる寸前まで行ったことは間違いない。

あっちの世界の手前にいることを瞬間許されたのでは、と今も思う。

その時の赤いフォルクスワーゲンビートルは、やはり、自分をこの世界に残してくれたとも。

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