アフターダーク:村上春樹の世界

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アフターダーク

この作品の特異性

村上春樹のアフターダークについて、触れてみる。この作品は、村上春樹の小説の中でも、特に、賛否両論が成り立っている不思議な位置づけにある作品とも言われている。もっと、端的に言えば、失敗作の1つとも位置づけられているのではなかろうか。

しかし、この作品は、明らかに、村上春樹の新しい試みがあるのは間違いなかった。しかし、それは、この作品だけで終わってしまったと考えられる。それは何か?それは、作品の登場人物達を本を読む我々の視点なるカメラ目線で、観察し描かれていく奇妙な三人称で語られていることである。

例えば、最初の導入部分から、次のような展開を始めている。

私たちの視線は、とりわけ光の集中した一角を選び、焦点をあわせる。そのポイントに向けて静かに降下していく。色とりどりのネオンの海だ。繁華街と呼ばれる地域。・・・・私たちは「デニーズ」の店内にいる。無表情なインテリアと食器、経営工学のスペシャリストたちによって細部まで緻密に計算されたフロアプラン、小さな音で流れる無害なバックグラウンドミュージック、正確にマニュアルどおりの応対をするように訓練された店員たち。・・・・私たちは店内をひととおり見まわしたあとで、窓際の席に座った一人の女の子に目を止める。どうして彼女なのだろう?なぜほかの誰かではないのだろう?その理由はわからない。しかしその女の子はなぜか私たちの視線をひきつけるーとても自然に。

こんな感じの私たち目線の記述なのである。ちなみに、この一人の女の子が、浅井マリである。

そして、この小説は、ある日の真夜中から朝までの7時間を17の場面で描いた作品なのである。気になる登場人物の観点とモノから、小説をみていこう。

浅井マリ

浅井マリはデニーズの店内の四人掛けテーブル席に座って本を読んでいる。フード付きのグレーのパーカーにジーンズ。色褪せた黄色いスニーカーと隣の椅子にスタジアム・ジャンパーをかけている。テーブルの上にコーヒーカップ。そして、ボストン・レッドソックスの紺色のベースボール・キャップ。

浅井マリの姉の浅井エリを好きな男が店に来て、マリに声をかけ、マリの前に座り、話をする。その時に流れている音楽は、パーシー・フェース楽団の「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」からバート・バカラックの「エープリル・フール」。そして、男が、ジャズの「ブルースエット」のレコードの中にある曲「ファイブスポット・アフターダーク」とトロンボーンについて、話をする。

マリが戻ったデニーズの店内では、古いヒットソングが流れている。例えば、ホール・アンド・オーツの「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」とか。

浅井エリ

マリの姉浅井エリは部屋で眠っている。

部屋の中は暗い。しかし、私たちの目は少しずつ暗さに馴れていく。女がベッドに眠っている。美しい若い女、マリの姉エリだ。・・・黒い髪が、溢れ出した暗い水のように枕の上に広がっている。

エリの眠りには、何かしら普通でないところが感じられる。無機質なような部屋。彼女の眠っている部屋の中で、プラグの外れたテレビの画面が光り出すなど、何かが起ころうとしている。

眠っているエリの横のテレビ画面の中に、顔のない男がエリをずっと見つめているようだ。

カオル

ラブホテル「アルファヴイル」のマネージャー。元女子プロレスラーで男のような女。部下に、コムギとコオロギがいる。カオルに頼まれ、マリはラブホテル内で暴力にあった娼婦を助ける。

カオルとマリは小さなバーのカウンターで話をする。ラブホテルの名前「 アルファヴイル 」はジャン・リュック・ゴダールの映画の名前で、近未来の架空の都市の名前なのだ。その街では、情愛とアイロニーを必要としないセックスはある。そして、バーに流れる官能的なデューク・エリントンの「ソフィスティケイテッド・レイディー」。

白川

ホテル 「アルファヴイル」 で娼婦に暴力を働いたと思われる男。同僚たちが皆帰ってしまったオフィスで、物凄い速さのタッチでコンピュータの画面に向かって仕事をしている。「孤独」という題でエドワード・ホッパーが絵に描きそうな光景だ。小型CDプレイヤーから、バッハのピアノ音楽が流れている。

高橋

高橋は、デニーズでマリに話をかけた男。ラブホテルの近くで朝までバンド練習をする大学生。ひょろりと背の高い髪がくしゃくしゃした痩せぎすの頬に傷のある男。よく喋る。色んな話をする。例えば、映画の「ある愛の詩」について。主役のライアン・オニールについて語る。司法試験を目指していて、裁判の傍聴好き。

そして、話は、続く

この登場人物たちが、深夜の7時間に関わりあう、ある意味、村上春樹流の現実を超えたパートと現実パートが絡み合うストーリーである。村上春樹の好きな音楽と映画と絵画について、そこそこに話に入れてくるのはいつもと同じだが。しかし、小説自体は実験的小説手法であり、果たして、成功したと言えるか。ただ、相変わらずのスタイリッシュさは持っている。成功したかは、貴方が読んで判断してほしい。

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