エッセイ哲学:片岡義男①

エッセイ

村上春樹の突然の出現で、多分それまでの陽の当たり具合が急激に変わった作家が二人いるような気がする。一人は庄司薫で、もう一人は片岡義男だ。何故か、村上春樹とダブルような部分がそれぞれにあったように思うが、近頃は全く何も聞かない。そもそも、庄司薫はずいぶんと昔に作家活動を辞めているかもしれないが。そして、片岡義男だ。彼のアメリカナイズした文体や考えは村上春樹以前のものであるのに、とんと最近は聞かない。これが流行というものなのか。不思議なものである。

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ブックストアで待ちあわせ

その片岡義男のエッセイ「ブックストアで待ち合わせ」を私のエッセイ哲学の中で、見ていくことにしたい。


ブックストアで待ちあわせ (新潮文庫)

このエッセイ集は、アメリカの本を紹介するエッセイの本ということになるのかな。つまり、この本は、アメリカの本で片岡義男を勇気づけたようなものについて紹介するエッセイの内容になるのだ。なるほど。

今回は、この記事に注目した。

フォルクスワーゲンを元気に生かしつづけておくには

自分の好きなワーゲンビートル

この記事にはフォルクスワーゲンの文字だけで大変興味を引いた。何故なら、このフォルクスワーゲンとは多分旧型のビートルのことであるし、20代の頃、自分は赤のワーゲンビートルに乗っていたからだ。学生時代に購入したトヨタカリーナの次の2代目の自分の車だった。カーセンサーという月刊誌で読者の車を売りたいページで見つけて買った車だ。確か、京都まで結構な現金を持っていき、そのビートルを引き取ったのだ。中古でも(というか新車はないので)、紙面で決めても、ワーゲンビートルというだけで、良かったのだ。その位に、魅力があった。その何とも言えないフォルムと古さに。

片岡義男の紹介したアメリカの本は、『あなたのフォルクスワーゲンを生かしつづけておくにはどうすればよいか』だ。サブタイトルが奮っている。《どんなに馬鹿でもひとつひとつ順を追って修理・メインテナンスできるように書いてあるマニュアル》となっている。そうか、馬鹿か。著者は、自動車のエンジンフードを一度もあげたことのない人にも修理とメインテナンスができるような本を書いたものらしい。

フォルクスワーゲンビートルはひとかたまりの機械であるが、そのかたまりの機械にも声がある。それを使用する人が感覚を研ぎ澄まして耳を傾ければ、その声を聞き取ることが出来ると著者は言うらしい。

バンブルビー

ここに関しては、ワーゲンビートルの所有者で運転者であった自分からすれば、その通りだなとつくづく思ってしまうし、共感できる。そうなのだ。昔のワーゲンビートルは本当に、そういう車だったなという感じがとてもするのだ。本当に、調子の良い時と悪い時の車の雰囲気が全く違うし、悪い時など、ビートルのヤツは何かを訴えかけるという感じであった。大変に、人間ぽいのだ。色々な車に乗ってきたし、外車もシトロエンやアウディに乗ってきたが、このフォルクスワーゲンほど、人間ぽく、気分屋なヤツもいなかった。他の車は機械のかたまり以外のなにものでもなかったけど、このビートルは機械であるのだろうけど片岡義男の言うような1個の生命体として息づいていた。今でいうなら、映画のトランスフォーマーに出てくるビートルのバンブルビーなのだった。

何度か、我がフォルクスワーゲンビートルは白煙を上げた。一番困ったのは東名高速道路を走っている時だった。座席の中まで真っ白になった。なんとか路側帯に止めて助かったが、最低のゴールデンウイークの始まりだった。その時、多分第3シリンダーのバルブが焼けたのだろう。だから、片岡のエッセイに書かれているように、長生きさせるのにもっとも重要なのはバルブの調整だという指摘は良く判る。機械というものは、どこから知っていけばよいか、入っていけばよいか、そこを押さえれば、長い交流が出来ることを伝えてくれている。

馬鹿とテキスト

片岡義男は、この本で、「1台のフォルクスワーゲンとつきあっていく間に体験するありとあらゆる故障や不調がこの1冊でなおせる」という。

あの頃、この本を知っていたら、村上春樹に流れずに片岡義男に注目していたら、ワーゲンビートルともっと素敵な友達になれたかもしれないなと思う。このエッセイにある指摘の自分にとっての一番大事なことは、機械に対する入り方を根底から考えさてくれる自分に合ったマニュアルが多分世界のどこかに必ずあるということなのかな。機械だからと不得手にならないで済む馬鹿でもわかるマニュアルを見つけることが出来た人は多分幸せになれるということかもしれない。

哲学とまではいかないが、人は何かを学んだり何かを修復したりしていくのには、自分に最もあったテキストを時間をかけてまずは探すことが一番大事かもしれないね。合わないテキストで学んでも、馬鹿は馬鹿のままなのだよ、多分。

そこを教えてくれたこの片岡義男のエッセイの記事そのものが、大事なテキストでマニュアルですね。結局、そこに至ってしまいました。エッセイの中の内容に、自分の経験と一致することがあると、その言いたいことは結構自分の核に触れきますね。そして、想い出も蘇る。勉強になるなぁ。

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