人の度量=運に選ばれる人

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エッセイ

今回の色々と大変な世界の中での東京オリンピックが現実に実施されて思うことが多くある。多くの非難や恐れや希望や諦め等々色々な思惑が渦巻き、残念な演出のオリンピック開会式やその直前のゴタゴタなどがこれでもとあったが、それでもスポーツとしてテレビ画面を通じて観ているだけでも、それは誰しもが感じていることであろうが、殆どのアスリート達のここに来るまでの努力や実際の試合中の真摯で誠実な動きを思うにつれ、とても心に刺さってくることが多い。時には、涙さえ出てくることもある。人間、やはり、こころが曲がっているよりも真直ぐに前を向いて進もうとしてしている人をみると、とても心が温かくなっていくのである。

反対に、これだけSNSが盛んになった現代では、アスリートでも芸人でもそれなりに名声を高めた人間が人から見て倫理に反すると思わしき行動や言動が巷に流れると、大変なバッシングを受ける。裏で努力をしているかもしれないが、その努力に見合う行動や結果が出ないと、そこに至るまでの多くの時間や労力は無になる。今のオリンピックでの競泳界のある人物なんかに関しても、そのような炎上が続いている感じである。

このような流れを見ていたら、人間っていうのは、やはり、大多数の人の心は道徳的というかethics(倫理)に結構基づいているんだなと感じたというか、知ったということは、それなりに安心できたことでありました。

そして、今回のオリンピックで予選落ちしたアスリートを見ていくと、そこには、やはり、大言壮語している人間がいたり謙遜する気持ちのない人間がいたりして、そこはそこで、とても勉強になるモノでした。そうなのです。人には運の流れってのがあるなって思ったのですね。

まずは、運をとらえて運の流れに乗るためには、やはり絶対に必要なことは当たり前かもしれませんが、どうやら、大前提として人の道を外れていないことでそれ以上に倫理的であることが必要なのかもしれないことをまずは感じましたね。人から見て後ろ指を指されるようなことをしている人間は、そのことを深く反省し自分を戒めて努力しないと、一度堕ちた運は巡ってこないというのが大前提の流れであることを痛感しましたね。運というものは自分で取りに行くものではなく、運に選ばれるように自分を普段の生活や仕事やスポーツの中で運に好かれるような努力や工夫をしているのです。自分で意識しているのでなく普通に。運を呼び込む人は今回のオリンピックをみていても、とても謙虚で毎日の生活の中でその人が関係する人達ととても良い人間関係も作っていますね。本当にスポーツの練習で辛いことがあっても、そこを離れた生活には運を呼び込む様な自然体と明るさと人への思いやりがあります。

まずは、そんな感じで、運に選ばれる人は、毎日の全ての生活において、心も体も気分の良い状態を作りあげているように思います。自分と違和感のあることとは距離を置き、自分の気持ちの良い方へ行っている感じですね。いいものだけを見つけて、悪いものを見つけたらそれは捨てるという流れですね。しかしながら、今回、バッシングされているアスリートの人は、そのような気持ちの良い感じ状態ではありませんでしたね。何か悪いものの方にしか目が行かないというかそれを捨て去ることが出来なかったというか。良いものと悪いものの選択ができるためのモノサシになるであろう違和感という概念自体を持っていなかったのではないかとさえ、思えてきますね。それもこれも人柄って言ってしまえば、そういうことになるのかもしれませんが、運を呼び込む人というのは、運が良い場所や人のところに自ずと行けるような違和感感覚を常にもっているということなんでしょうかね。これはおかしいことだと思える倫理観というか道徳観というか自然感覚というか。この感覚というのは、多分、自分自身を普通に捉えられないと持てないものなのでしょうね。奢りや自分は人よりも優秀だとか心の中に常に持っていて同じ土俵にいれない人には持てない感覚なのかもしれません。我々普通人にはいつも持っている感覚ですが。

時として、世間で起こる犯罪の犯人達の心理には、悪が蔓延っているのですが、その悪に繋がっているのは、こんなような自分は普通の人より上にいる人間だという感覚とも考えられます。人は善であってほしい。悪よりも。悪でなく善でいるためには、単純なことになってしまうが人間は誰でも平等であるということを意識できるかできないかの違いなのかもしれないね。それさえあれば、運を引き寄せることの出来る日常生活での違和感感覚を上手に発揮することができるかもしれないと、この東京オリンピックを観ていて、とても感じました。運に選ばれる人と運に選ばれない人の違いは何かを本当に教えてくれるので、このオリンピック中継はとても自分では勉強になりますね。人はやっぱり、清く正しく生きていた方が多分良いのだろうなということを感じさせてくれたのも、良かったことかもしれないなと思いますね。

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