村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:エッセイを語る①

エッセイ

村上春樹のエッセイを読んでいると、その口調というか、雰囲気は極めてライトなのだけれど、書いている内容がフムフム((・_・D フムフム))という感じで、そうだよなと思わず手を叩くことが多い。そんなことで、今回は、そういう思いを感じさせてくれた記事を、自分の思うことも併せて、紹介しておきます。

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会社くらい素敵なものはない、のか?

私みたいな会社員からすれば、一度も会社や組織に属したことのない村上春樹ほど幸せな人はいないのだけれど、彼からすると、そうでもないみたいだ。

村上春樹は、会社がどういうところなのかぜんぜん理解できないし、毎日会社に行ってみんなで集まって九時から五時までいったい何をしているのだろうかと、不思議でしょうがないという。

そして、今、この大前提となる疑問は、実は、今回のコロナショックで、会社に行く必要があるのかという今までのしきたりが消えたのである。村上春樹が単純に会社って何?から感じた組織に集まる必要性は実はあんまりないんじゃないのというコペルニクス的転換をしたのである。

人間の命のために、やむなく会社出勤を控えようとなったことが、そもそも、個人でノルマを果たせられるのなら会社に行く必要なんてないじゃんという感覚にチェンジしたのである。リモートワークやテレビ会議で、会社に行かず個人が家で対応できるんじゃないかと。

長い間、会社に行くことで会社員だったような歴史は、今、もしかしたら、不思議なただの幻想であったのかもしれないというような局面に来ているような感じなのである。

それなので、この村上春樹のエッセイの内容は逆に面白い。次の安西水丸氏のところに触れた部分を引用しよう。

安西画伯は電通と平凡社で、いちおう会社員としてけっこう長く働いておられた。それであるとき「ねえ水丸さん、会社っていったいどんなところなんですか?」と画伯に尋ねてみたら、「こういっちゃなんだけどね、ムラカミくん、世の中に会社ぐらい楽しいものはないよね。何しろろくに働かなくてもちゃんと給料はくれるし、昼前に出社したら即宴会だし、綺麗な女の人がいっぱいいて社内恋愛、不倫をやり放題だっだし・・・ふふふ」といことだった。思い出しただけで頬が緩むという風情であった。それじゃまるで竜宮城の浦島太郎である。しかし、そう言われても電通や平凡社の社員が全員、そんなにハッピーでラッキーな人生を送っているとは僕にはどうしても思えない。これはやっぱり安西水丸という人格にして初めて可能なことだったのではあるまいか。

安西水丸のこの話は極端だとしても会社にはそういう部分があることは間違いないのだ。つまり、組織としてのぬるま湯的な部分だ。会社に行くという行為そのものだけで免罪符されている部分が多々あったのではないだろうか。ギチギチに仕事をしているだけでなく非公式的な組織の一員としての緩さがあったのではなかろうか。それによって、公式的な組織人として会社員が何とか自分を維持出来ていたのではないだろうか。ブラック企業以外は、各会社員にとって、会社という組織なる器が必要であったのではないだろうか?

そうなのだよね。安西水丸が言っているように、世の中に会社くらい楽しいものはないよという感覚は、ある意味重要な大事なことのような気がします。

今後、完全にリモートワークで個人事業主のようなサラリーマン生活が進められるのかとなると、それだけでは無理な感じがしないではない。会社という組織の器に物理的にも組み込まれる時を持つ必要があるに違いないのではないでしょうか。人は現実にコミュニケーションがあることが実は楽しいのですから。

会社くらい素敵なものはないっていうのは、今のコロナでの閉塞会社世界をみるにつけ、重要なキイワードかもしれませんね。

傷つかなくなることについて

村上春樹のこのエッセイの中で気になるのは、歳をとることについての感想あたりの記事だ。

歳をとれば、人間というものは一般的に、そんなにずたずたとは傷つかないようになるものなのだ。どうして歳をとると傷つく能力が落ちてくるのか、理由はよくわからない。またそれが僕自身にとって良いことなのか、良くないことなのかもわからない。しかし、どっちが楽かと言えば、どう考えたって傷つくことが少ない方が楽である。・・・・結局のところこれは「しゃあない、そういうものなんだ」と思えるか思えないかの違いだろう。つまり何度もそういうことを経験してきて、その結果なにがあったところで「なんだ、また前と同じことじゃねえか」と思うようになって、それでいちいち真剣に思い悩むのがあほらしくなったのかもしれない。これは良くいえばタフになったということだし、悪くいえば僕の中にあったナイーブな感受性が摩耗したのだということにもなる。要するに厚かましくなったわけだ。

そうか。歳をとると傷つかなくなるというのは事実だな。ハードボイルド賞小説の探偵状態になるっていう感じかな。しかし、彼らには、ナイーブな感受性がかなり残っていたような感じがするが。とにかく、多分、いいことじゃないか。傷つかなくなること。

しかし、村上春樹は、それでも歳をとっても傷つくことはある。そういう時はどうすべきかについても答えている。それは、

嫌なことがあっても見ないふりをすること、聞かないふりをすることって言ってるね。

面白いよね、村上春樹。ここまで言うんだ。私も、これからそうしよう。

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