乾いた文章と温かい心
ハードボイルド小説の金字塔であるフィリップ・マーロウに注目して、近頃、ハードボイルド絡みの文章を紹介させてもらっている。こういうことを日記のように続けていると、レイモンド・チャンドラーの探偵小説を再整理出来ている感じがして、大変楽しい。そして、レイモンド・チャンドラーの乾いた文章の中に、とてつもなく温かい心が隠れていることがわかって、それも、とても、嬉しいのだ。そこで、今回は、マーロウと女との間に流れる会話を拾って、みてみよう。
そもそも、チャンドラーは、文学の手法として「主人公の内面を描かず行動を描くことで、感情や世界そのものを描写する」という非情系やハードボイルドと呼ばれる手法を革命的におしすすめたのだから、その乾いた文章には感情が十分に表現されているよね。
ロング・グッドバイ
ベストセラー作家の妻でであるアイリーン・ウェイドに言った言葉とキスだ。
「これをあとに残していきましょう」と私は言った。私は彼女の体に手を回して抱き寄せ、相手の頭を後ろに傾けた。そして、その唇に強く唇を重ねた。彼女は抵抗もしなかったし、応えもしなかった。彼女は静かに身を引き、そこに立って私を見た。
「そんなことをなさってはいけません」と彼女は言った。「間違ったことです。あなたはもっと心の優しい人のはずです」
「その通り。とても間違ったことだ」と私は認めた。「しかし、私は今日いちにち、有能で忠実で躾のいい猟犬として身を粉にして働きました。・・・・・私の言うことは馬鹿げていますか?」
「もちろん馬鹿げています」と彼女は冷たい声で言った。「そんなでたらめな話は聞いたことはありません」、彼女はそう言って立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってください」と私は言った。「そんなキスじゃ傷は残らない。心配はいりません。それから私が心優しい人間だなんて言わないでいただきたい。そんなことを言われるくらいなら、ごろつきにでもなった方がましだ」
ロング・グッドバイ 村上春樹訳
ちなみに、エリオット・グールドが演じたフィリップ・マーロウも良かったね。
シルビア・レノックスの姉、リンダ・ローリングとの会話だ。女性とのことに及ぶ前のフィリップ・マーロウの言葉。まさに、ハードボイルドでクールなセリフ。モテるぜ、フィリップ・マーロウ。
「それとも、あなたはバーでは女性に誘いをかけたりしないのかもね」
「あまりやらないね。照明が暗すぎる」
「でも多くの女性は、男からの誘いを求めてバーに行くのよ」
「多くの女性は朝起きたときからそれしか求めちゃいない」
「しかし酒には催眠的な効果があるわ。あるポイントまではということだけど」
「医師はそれを推奨する」
「医者の話をよして。シャンパンを飲ませて」
私は彼女にまた少しキスをした。お愉しみのための軽いキスだった。
「あなたの気の毒な頬にキスをしたい」、彼女はそう言って私の頬に口づけした。「焼けるように熱いわ」
「それ以外の部分は凍りついているよ」
「嘘つき。ねぇ、シャンパンをとって」
「どうして?」
「飲まないと気が抜けてしまうでしょう。それにシャンパンが好きなの」
「いいとも」
「私のことを愛してくれる?それともあなたとベッドを共にしたら、心から愛してもらえるのかしら?」
「おそらく」
「私とベッドに行く必要はないのよ。無理に迫っているわけではないのだから」
「ありがたいことだ」
「シャンパンが飲みたいわ」
「君にはどれくらい財産がある?」
「全部で?どれくらいかしら。多分八百万ドル前後ね」
「君とベッドに行くことにした」
「金のためなら何でもやる」と彼女は言った。
「シャンパンは自腹を切ったぜ」
「シャンパンくらい何よ」と彼女は言った。
ロング・グッドバイ 村上春樹訳
そして、翌朝、あの名文句に出会うことになるのだ。我々は。
フランス人はこのような場にふさわしいひとことを持っている。フランス人というのはいかなるときも場にふさわしいひとことを持っており、どれもがうまくツボにはまる。
さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。
カッコ良いよな。フィリップ・マーロウ。
プレイバック
ここにも、フィリップ・マーロウの歴史に残るであろう(?)名セリフがあるぞ。知らない人はいないだろう。
「彼を愛しているのかい」
「あなたを愛しているんだと思ったわ」
「あれは夜だけのことさ」と、私はいった。
「それ以上のことを考えるのはよそう。台所にまだコーヒーがある」
「もういらないわ。朝のお食事のときまで飲まなわいわ。あなた、恋をしたことないの?毎日、毎月、毎年、一人の女と一しょにいたいと思ったことはないの?」
「出掛けよう」
「あなたのようにしっかりとした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」彼女は信じられないように訊ねた。
「しっかしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
私は彼女に外套を着せて、私たちは私の車のところへ歩いていった。
プレイバック 清水俊二訳
かわいい女
「女のお友だち、大勢いるんでしょう。何故、結婚しないの」
私はその問いに対するすべての答を思いうかべた。結婚したいと思うほど好きだったすべての女を思いうかべた。いや、全部ではない。だが、結婚したいと思った女もいた。
「僕が結婚したいと思う女は、向こうで気に入らないというんだ。そのほかの女なら、結婚する必要はない。ただ、口説けばいいんだ」
彼女は髪の生えぎわまで、顔を赤くした。
「ずいぶん、ひどいことをいうのね」
「君だって、覚えがあるはずだぜ」
「そんなこといわないで!」
「だが、そうだろ」
かわいい女 清水俊二訳
日本のフィリップ・マーロウ
ロング・グッドバイが日本を舞台にドラマ化された。
NHKのテレビドラマ「ロング・グッドバイ」で。
フィリップ・マーロウを浅野忠信が演じた。かなり、渋かったな。彼は。ハードボイルドだぜ。
テリーレノックスは、綾野剛というところか。
日本に舞台を設定しても、フィリップ・マーロウはフィリップ・マーロウだぜ。
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