『ノルウェイの森』をモノや場所から見直すと、人生が少しだけ分かってくる。そこで、今回、ノルウェイの森に遅くなったが、手を付けることにした。
18年前にトリップする出だし
飛行機がドイツのハンブルク空港に着こうとする。機内にかかっているのはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの「ノルウェイの森」だ。
僕は三十七歳。だが、十八年前のあの草原にトリップする。直子はいて、井戸の話があって。しかし、今は、その十月の草原の風景だけが、まるで映画の象徴シーンみたいに僕の頭の中に浮かぶだけだ。
そして、その草原を頭の中に浮かべるためには、直子の話にあった井戸のことしかキイワードはない。あまりに多くのことを忘れてしまった。約束した直子の「私を忘れないで」を忘れかけている。
直子とレイコさんと僕
東京で再び出会った頃、彼女は良く歩いた。東京の町をあてもなく二人で歩いた。
直子のニ十歳の雨の誕生日にケーキを買って、僕は国分寺の直子のアパートまで行った。その夜、泣き止まない直子と僕は寝た。彼女は処女だった。そして、それから、彼女とは長い間連絡が取れなかった。キズキとは最後までいかなかったのだ。
彼女は京都のおそろしく山深いところにある療養所阿美寮に入っていた。
直子はレイコさんと同じ部屋に住んでいた。レイコさんはそこで音楽の先生もしていた。僕はトーマス・マンの魔の山を持ってきていた。
直子がレイコさんにギターで『ノルウェイの森』を弾いてと頼んだ。三人で山の中、ピクニックもした。直子は手で僕の射精もしてくれた。レイコさんから、嘘つきの天才で美しくしかもレズである少女の話を聞いた。
直子はレイコさんと仲が良かった。だが、突然、直子は泣くことがあった。そして、泣き止まなかった。
そして、その後は、たたただ、手紙を自分の方で送るだけだった。
京都から帰ってからは、毎週直子に手紙を書いた。ニ十歳の誕生日プレゼントに手編みのセーターももらった。
そして、大学の冬休みがくると、雪に包まれた直子の寮に行った。
寮
その寮は、多分間違いなく目白に現存する和敬塾であることは間違いない。
僕の同室にはあだ名が「突撃隊」という学生がいた。突撃隊の夢は国土地理院に入り、地図を作ることだった。真面目で吃音であった。そして、残念なことに、いつの間にか、退寮していた。
そして、長沢さん。寮にいた東大法学部4年生。「グレート・ギャツビイ」を3回読んだ男なら友達になれると言われた。長沢さんは完璧だった。そして、寮の伝説でもあった。ナメクジを3匹飲んだこともある。長沢さんは僕が寮を出て吉祥寺の裏あたりに引っ越しをした時に手伝ってくれた。そして、ひとこと忠告を言った。「自分に同情するな」と。
長沢さんの彼女のハツミさんは穏やかで、理知的で、ユーモアがあって、思いやりがあって、いつも素晴らしく上品な服を着ていた。
長沢さんが外交官試験に受かった後、3人で食事をした。そこで、初めて、ハツミさんは怒った。そして、長沢さんを残し、僕と帰った。ハツミさんは美人でないのに魅力があった。そして、それは何か判らなかったが、12年か13年経ち、突然理解できた。僕や皆が持っていた少年期の永遠に満たされない憧憬のようなものだった。しかし、その時には、ハツミさんはこの世にいなかった。
キズキと僕と直子
僕とキズキは高校の午後の授業を抜けて、ビリヤードを撞いた。
その後、キズキは死んだ。
キズキは自宅のガレージの中の赤いN360の中で死んだ。
なあ、キズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもうニ十歳になったんだよ。そして、俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。俺は生きると決めたんだ。これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を見捨てない。
緑
月曜日の昼、僕は大学から少し離れたところにある小さなレストランで緑に声をかけられる。緑は僕が、ハンフリーボガードみたいにクールでタフな喋り方をすると謂う。緑の短いスカートは素敵だった。
豊島区大塚にある小林書店の娘小林緑。僕と同じ大学の後輩。高校まで6年間、多分、四谷のお嬢様学校の雙葉学園出身だ。
彼女の家に行く。緑の料理は僕の想像を遥かに超えて立派なものだった。
緑の家に初めて行った日曜日の午後は不思議だった。近くで火事があった。緑がショートケーキと父のウルグアイの話をした。
人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ。
そして、私を抱くときには私のことだけを考えてね。
他人の心を、それも大事な相手の心を無意識に傷つけることはとても嫌なものだった。
再生
直子が森の中で首を吊って自殺してしまった。僕はショックで放浪の旅に出る。
東京に旅から戻りレイコさんと会い直子の話を聞き、レイコさんと交わった。
その後、僕は緑に電話をかけ、「君以外求めるものは何も無い、はじめから二人でやり直したい」と伝えた。
緑は「今どこにいるの?」と聞いてきた。僕は自分が今何処にいるのかわからなくなっていた。
死と生
この小説では、かなり多くの人間が自ら命を絶ちます。キズキ・直子・直子の姉・ハツミさんなど。そして、死は生の一貫で一部だとしている。そこには、救いがあるのか。緑は生の方の救いなのか。よく知っている人の死の哀しみを誰も癒すことができない。そこを超えていくためには。
本当に、久しぶりに、ノルウェイの森を再読した。昔自分が持っていた印象と全く違っていた。そして、僕自身が東京に来た頃、よく来ていた場所や住んでいた地名が恐ろしいほど一緒だったことにビックリした。和敬塾ではないが、寮にも住んでいたこともある。何故か、酷似している。
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