ただただ、新川和江。優しく生きていく意味を問う彼女の詩から。
ただただ、新川和江。
何故か、何故なのか。その詩の言葉でメランコリックに切なくなるのは。
わたしはただただ貴方を映す器。そして、生きることを大事にする。
わたしを束ねないで
わたしを束(たば)ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂(いなほ)
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
,(コンマ)や . (ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
生きる理由
数えつくせない
この春ひらくつぼみの一りん一りんを
若いうぐいすの胸毛のいっぽんいっぽんを
だからわたしは 今日も生きている
そうして明日も
歌いつくせない
喜びの歌 悲しみの歌 そのひとふしひとふしを
世界じゅうの子供たち ひとりひとりのための子守歌を
だからわたしは 今日も生きている
そうして明日も
歩きつくせない
人類未踏の秘境どころか いま住んでいる
この小さな町のいくつかの路地裏さえも
だからわたしは 今日も生きている
そうして明日も
汲みつくせない
底のない桶をあてがわれているわけでもないのに
他人の涙 私の涙 この世にあふれる水のすべてを
だからわたしは 今日も生きている
そうして明日も
愛しつくせない
昨日も愛した 一昨日も愛した けれどもまだ
口いっぱいにはしてあげられない あのひとを
だからわたしは 今日も生きている
そうして明日も
名づけられた葉
ポプラの木には ポプラの葉
何千何万芽をふいて
緑の小さな手をひろげ
いっしんにひらひらさせても
ひとつひとつのてのひらに
載せられる名はみな同じ
わたしも
いちまいの葉にすぎないけれど
あつい血の樹液をもつ
にんげんの歴史の幹から分かれた小枝に
不安げにしがみついた
おさない葉っぱにすぎないけれど
わたしは呼ばれる
わたしだけの名で 朝に夕に
だからわたし 考えなければならない
誰のまねでもない
葉脈の走らせ方を 刻みのいれ方を
せいいっぱい緑をかがやかせて
うつくしく散る法を
名づけられた葉なのだから 考えなければならない
どんなに風がつよくとも
いっしょうけんめい泳いだら
いっしょうけんめい泳いだら
いつか 魚になれますか
尾ひれが生えて すいすいと
沖まで泳いで ゆけますか
いっしょうけんめい はばたいたら
いつか 小鳥に なれますか
つばさが生えて ゆうゆうと
広いお空が とべますか
いっしょうけんめい 背のびをしたら
いつか ポプラに なれますか
みどりの葉っぱを そよがせて
風とおはなし できますか
いっしょうけんめい 咲こうとしたら
いつか お花に なれますか
ひかりと水に 愛されて
わたしもきれいに さけますか
欠落
わたしは
蓋のない容(い)ものです
空地に棄てられた
半端ものの丼(どんぶり)か 深皿のような…
それでも ひと晩じゅう雨が降りつづいて
やんだ翌朝には
まっさらな青空を
溜まった水と共に所有することができます
蝶の死骸や 鳥の羽根や
無効になった契約書のたぐいが
投げこまれることも ありますが
風がつよく吹く日もあって
きれいに始末してくれます
誰もしみじみ覗いてはくれませんが
月の光が美しく差しこむ夜は
空っぽの底で
うれしくてうれしくて 照り返すこともできる
棄てられている瀬戸もののことですか?
いいえ わたしのことです
子どもが笑うと・・・
ちいさな子どもが
クスッと笑うと
草の実がぱちん!とはじけます
クスクスッと笑うと
木の葉がゆれて
ひかりが こぼれます
クスクスクスッと笑うと
もう誰だって
いっしょに笑わずにはいられない
朝の空気も 牛乳びんも
石段も 風も 遠くの海も
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