久しぶりに、白石一文の小説『草にすわる』を読んだら、感銘を受けた。やはり、彼の小説は、外れがないなと思う。結構、グッと来た。
自分の近頃の生活もどっちかというと、結構、ダラシナクいい加減なところもあって、毎朝のルーティンのはずの自転車とウォーキングとトラックでの走行を今日は朝寒いだの睡眠不足だの自分に言い訳をして、サボっている。そんなグータラな毎日を過ごしている自分を白石一文が作品を通じて、怒ってくれた感じで、何とも言えない気持ちになったのだ。
「生きていたってしょうがないよ」。大企業を辞めた洪治は、最低五年間は何もすまいと誓い、無為な日々を過ごしている。ある日彼は、一年近く付き合う彼女から昔の不幸な出来事を聞かされる。死ぬことに決めた二人は、睡眠薬を飲む。絶望。その果てに彼が見たのは…(表題作)。なぜ人間は生まれ、どこに行くのか。「覚醒の物語」二編と初期に別名義で発表した一編を収録。
内容紹介
その小説の中で、主人公が、ちょっとしたことで知った八木重吉の詩も自分にも、どういうわけか、感銘を受けた。
詩、っていうのも、短い文の中に、自分を揺り動かすものがあるんだなと改めて感じた次第なのだね。
その詩は、こんな詩なのだ。
草にすわる
わたしのまちがいだった わたしのまちがい だった こうして 草にすわれば、それがわかる
それ以外では、こんな詩も紹介していた。どれもが、優しい、のである。
病気
病気をすると ほんに何も欲しくない 妻や桃子たちもいとおしくてならぬ よその人も のこらず幸であって下さいと心からねがわれる
八木重吉の詩は、とても、繊細だ。こんなのもある。
素朴な琴
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう
八木重吉は、どの季節も、優しい音色に変える。
八木重吉の秋は美しくも、哀しいのだった。
そして、生きるヒント。
春
ほんとによく晴れた朝だ
桃子は窓をあけて首をだし
桃ちゃん いい子 いい子うよ
桃ちゃん いい子 いい子うよって歌っている
八木重吉は、1898(明治31)2月9日、東京府南多摩郡堺村(現在の町田市)に生まれました。東京高等師範学校に進み、在学中にキリスト教の洗礼を受けます。兵庫県の御影師範の英語教師となります。24歳のとき、17歳の島田とみと結婚し、詩作に集中しました。1925年には、第一詩集「秋の瞳」を刊行しますが、翌年、結核で病臥し、第二詩集「貧しき信徒」を編みましたが、刊行を見る前に死去しました。
キリスト教的静謐に満ちた優しく暖かみのある短い詩は、読む人の心をうってやみません。詩中に登場する桃子は1937年に、また長男の陽二は1940年にそれぞれ亡くなりました。とみ夫人は、その後詩人の吉野秀雄と再婚し、1999年に亡くなりました。
内容紹介
赤
子供は
赤いものばっかり好きだ
そんなに寂しいのかしら
若くして愛する妻と子どもを遺して召された詩人・八木重吉。自然や信仰をうたった詩に加え、深い家族愛から作られた作品を写真を添えて紹介しながら、重吉と家族の物語をたどる。さらに、ほぼ無名のまま亡くなった重吉の作品を復活させた妻とみ子のエピソードも収録。
内容紹介
ある日
こころ
うつくしき日は
やぶれたるを
やぶれたりとなせど かなしからず
妻を よび
児をよびて
かたりたわむる
心が疲れたりしたら、八木重吉の短い詩に戻ってみるのも良いか。純粋な心と思いやりと優しさに触れてみるのも良いか。ギスギスしていると、忘れてしまいそうな一言を、彼の詩のどこにでも、見つけることが出来る。
淋しいけど、嬉しい。
喜ぶけど。哀しい。
こんなに心に色を付けずに人や周りをみてみたい。
悪はないはず。そこには。
どこに自分が向かうのかわからないときには、彼の詩を。
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