UNCLEハードボイルドホッパーオジサン登場
UNCLEのハードボイルドホッパーオジサンの私的な美術館が開宴致しました。
ちなみに、 UNCLEのハードボイルドホッパーオジサン とは、このブログの編集長であり、ハードボイルド美術館の館長である。UNCLEとは、あのナポレオン・ソロやイリヤ・クリヤキンが所属した秘密諜報機関の名称である。ちなみに、ハードボイルドホッパーオジサンはアメリカのその諜報機関に所属はしたことはない。しかし、それに近いような機関で、ハードボイルドな仕事を永年続けたきた御人なのである・・・・・。
自己主張
なので、このオッサン、ハードボイルド系の絵画にも目がない。峰不二子級のポン!キュッ!パァッ!お姉さん系にもかなりの拘りがあるが、絵に関してはうるさい。かなり、目が肥えている。そんなこんなで、ハードボイルド美術館の開幕だい。
ハードボイルド美術館
まずは、大好きなアーティストの作品をこのブログ内のハードボイルド美術館で展示いたしますですよ。
ハードボイルドでクールな作品を、この令和2年から、継続して、皆様にお見せしていきますよ。トクと、観て下さいね。
かなり、展示内容については、アトランダムに展示しておりますので、ご容赦願います。
何てったって、ハードボイルドホッパーオジサンは移り気だし、気儘だし、旅人だし、自由人ですので。お許しを。
それでは、どのあたりから行きますかね?
まずは、今現在も活躍中の野見山暁治だ。この人の絵は重くて、暗い、だから、渋いのだ。オッサンは90過ぎても、活躍中。自分で自分のことを「いつの間にかトボケた面になったあ」と言っているくらい、面白いハードボイルド爺さんなのである。最高。

野見山暁治 展覧会
いつもの朝

新作

廃坑(A)

いつかは会える
川

SM

野見山暁治を読み解く

野見山/暁治
1920年、福岡県嘉穂郡穂波村(現・飯塚市)に生まれる。東京美術学校洋画科卒業。1952年から1964年まで渡仏。1958年、安井賞を受賞。1972年から81年まで、東京藝術大学教授。1996年、毎日芸術賞を受賞。2000年、文化功労者に選ばれる。2004年、文化勲章を受章。絵画作品のほかに、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した「四百字のデッサン」をはじめ、多くの著書がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
新美南吉の名作「でんでんむしのかなしみ」をダイナミックに描いた絵本。でんでんむしの深い悲しみを、洋画家の巨匠 野見山暁治がダイナミックに描いた渾身の1冊! これこそアートなのだ! と訴えかけてくる作品。巻末には南吉の短編「里山の春、山の春」「木の祭り」「赤いろうそく」のテキストと、南吉の代表作を紹介し、他の作品への興味を誘います。
今年98歳となる日本を代表する洋画家が、1世紀近い人生で出会った人たちとの濃淡さまざまな触れ合いを稀有な文才で描くエッセイ。
野見山 暁治の展覧会の絵がかなり見れるぞ。 野見山の原点であるボタ山や炭鉱の油絵等がかなり掲載されている。残しておく価値はありますね。重くて、黒くて、暗いけど。ずっしりと心に来るね。
野見山氏は現象の背後にあるもの、森羅万象を貫通する本質的な何かを描こうとされているのではないかと愚考していますが、それは極めて宗教的行為に近いと思われます。全ては祈りの中からそれらの破片は生ずるのかもしれない。それらは俗に言えば、反骨の人生を歩まれた野見山氏だからこそ描けるのであろうが、東日本大震災を予感させる三十数年前の作品には言葉を失う。
戦時下に青春を送った画家の書下ろし自叙伝。
表紙の絵が美しい。
野見山さんと奥様の闘病の記録。
切ないエトランゼの記憶。
94歳。日々描き続ける画家の、宝石のような記憶。日本で、パリで出会い、すれちがい、あるいは深く関わった21人を、底知れぬ視力と描写術で綴る類まれな物語。それはまた、永遠に埋もれかけた記録としても貴重である。講演録「今日会える」収録。
どんな日々を過していれば、絵描きと言えるのだろう。今更、ウソはつかない。しかし、いつの間にかトボケた面になったなあ。ホンネを晒した絵描きのつぶやき。
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