横浜流星と金子みすゞ
今回は、金子みすゞの詩の第2回目。そして、私は、勝手に、金子みすずの詩とコラボレーションすべき人は、横浜流星と考えている。何故か?それは前回の「その1」でも話をしたが、「自分」という存在は自分以外の誰かがいて、初めて成り立っているということを感じさせる温かい金子みすゞの詩と横浜流星の気持ちが多分一致しているからだと勝手に思っているからなのである。
よって、金子みすゞの詩の紹介には、横浜流星の画像がコラボするのである。
これで、イイんです。
草の名
人の知ってる草の名は、 私はちっとも知らないの。
人の知らない草の名を、 私はいくつも知ってるの。
それは私がつけたのよ、 好きな草には好きな名を。
人の知ってる草の名も、 どうせ誰かがつけたのよ。
ほんとの名まえをしってるは、 空のお日さまばかりなの。
だから私はよんでるの、 私ばかりでよんでるの。
不思議
私は不思議でたまらない、黒い雲からふる雨が、銀に光っていることが。
私は不思議でたまらない、青い桑の葉食べている、蚕(カイコ)が白くなることが。
私は不思議でたまらない、たれもいじらぬ夕顔が、ひとりでぱらりと開くのが。
私は不思議でたまらない、誰にきいても笑ってて、あたりまえだ、ということが。
なかなおり
げんげのあぜみち、春がすみ、
むこうにあの子が立っていた。
あの子はげんげを持っていた、
わたしも、げんげをつんでいた。
あの子がわらう、と、気がつけば、
わたしも知らずにわらってた。
げんげのあぜみち、春がすみ、
ピイチクひばりがないていた
明日
街で逢った
母さんと子供
ちらと聞いたは
「明日」
街の果は
夕焼小焼、
春の近さも
知れる日。
なぜか私も
うれしくなって
思って来たは
「明日」
足ぶみ
わらびみたよな雲が出て、
空には春が来ましたよ。
ひとりで青空みていたら、
ひとりで足ぶみしましたよ。
ひとりで足ぶみしていたら、
ひとりで笑えて来ましたよ。
ひとりで笑ってして居たら、
誰かが笑って来ましたよ。
からたち垣根が芽をふいて、
小径にも春が来ましたよ。
このみち
このみちのさきには、
大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎よ、
このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、
大きな海があろうよ。
蓮池のかえろよ、
このみちをゆこうよ。
このみちのさきには、
大きな都があろうよ。
さびしそうな案山子よ、
このみちを行こうよ。
このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。
ちょっとした想い
みんな、一人だけど一人ではない。どんなに大変なことがあろうと、皆で助け合えば、多分、どこかに行けると。
独りぼっちでは、人は決して、ないと。金子みすゞは言っている。
そして、それは明日に繋がり、笑みも、いつしかやって来ると。
だから、人はケンカもするし、仲直りもする。自分の周りの不思議なことにも目が届く。自分なりの気持ちや言葉を大事にしていきたいとも思ったりも、する。
そんな切ないことを、金子みすゞは、伝えたがっている。
なのに、何故、彼女は夭逝したのか。詩が美しく可愛いだけに、寂しさが募る。
なので、勝手に、横浜流星の繊細な感じとコラボせざる得ない。許せよ。
今後は、他の詩人とも、コラボを考えてみよう。絵が詩になる男、横浜流星。
詩っていう世界に、こんな感じで入っていく方法も、多分、あり、だよね。
詩が、不思議と、入ってくる。自分の中に。
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多分、絵的には、この横浜流星の写真が金子みすゞの詩にピッタリくるね。
それで、この記事の最初と最後は、この絵で絞めさせてもらいます。
何故なら、このお顔は、本当に、君は独りじゃないよ、と金子みすゞの詩同様に訴えている感じがするので。
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