鮎川信夫:ハードボイルド詩集館

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鮎川信夫という詩人である男

鮎川信夫という詩人。本当に、ハードボイルドだったかもしれない。

死と友情と詩と、ハードボイルドなクールさ。

戦後現代詩にとって、一番重要な人物と言われる『鮎川信夫』。

廃船の繋船ホテルでの陳腐な情事と情景。

敗戦日本の荒廃そのものとして描き出したこの一見するとリアリズムの詩こそが、鮎川信夫を戦前と戦後を分かつ分水嶺としての詩人たらしめたところだろうか?

元軍人で死線を超えて戻ってきた男。まるで、トム・クルーズの映画『アウトロー』の主人公である「ジャック・リーチャー」みたいじゃないか。

鮎川信夫は、ジャック・リーチャーのように、どこに自由を求めたのだ?

吉本隆明は次のように言っている。

かれは際立った個性をふりまくわけでもない。とくに鋭利な論理でじぶんをそば立たせるのでもない。また粘液質な感覚で、ひとびとを強制してしまうのでもない。そこにかれが存在するというだけですでに複数の人間を綜合した何かを発散する。鮎川信夫はそういう文学者のひとりだ。かれはお人好しでもなければ、他者に利用されやすい軽さももたない。また、いわゆる包容力ある人物ではない。ある半透明な柱のようにいつもそこに立ってしまう」

「鮎川信夫――交渉史について」、1965
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死んだ男

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
——死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代——
活字の置き換えや神様ごっこ——
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

繋船ホテルの朝の歌

ひどく降りはじめた雨のなかを
おまえはただ遠くへ行こうとしていた
死のガードをもとめて
悲しみの街から遠ざかろうとしていた
おまえの濡れた肩を抱きしめたとき
なまぐさい夜風の街が
おれには港のように思えたのだ
船室の灯のひとつひとつを
可憐な魂のノスタルジアにともして
巨大な黒い影が波止場にうずくまっている
おれはずぶ濡れの悔恨をすてて
とおい航海に出よう
背負い袋のようにおまえをひっかついで
航海に出ようとおもった
電線のかすかな唸りが
海を飛んでゆく耳鳴りのようにおもえた

おれたちの夜明けには
疾走する鋼鉄の船が
青い海のなかに二人の運命をうかべているはずであった
ところがおれたちは
何処へも行きはしなかった
安ホテルの窓から
おれは明けがたの街にむかって唾をはいた
疲れた重たい瞼が
灰色の壁のように垂れてきて
おれとおまえのはかない希望と夢を
ガラスの花瓶に閉じこめてしまったのだ
折れた埠頭のさきは
花瓶の腐った水のなかで溶けている
なんだか眠りたりないものが
厭な匂いの薬のように澱んでいるばかりであった
だが昨日の雨は
いつまでもおれたちのひき裂かれた心と
ほてった肉体のあいだの
空虚なメランコリイの谷間にふりつづいている

おれたちはおれたちの神を
おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか
おまえはおれの責任について
おれはおまえの責任について考えている
おれは慢性胃腸病患者のだらしないネクタイをしめ
おまえは禿鷹風に化粧した小さな顔を
猫背のうえに乗せて
朝の食卓につく
ひびわれた卵のなかの
なかば熟しかけた未来にむかって
おまえは愚劣な謎をふくんだ微笑を浮かべてみせる
おれは憎悪のフォークを突き刺し
ブルジョア的な姦通事件の
あぶらぎった一皿を平らげたような顔をする

窓の風景は
額縁のなかに嵌めこまれている
ああ おれは雨と街路と夜がほしい
夜にならなければ
この倦怠の街の全景を
うまく抱擁することができないのだ
西と東の二つの大戦のあいだに生れて
恋にも革命にも失敗し
急転直下堕落していったあの
イデオロジストの顰め面を窓からつきだしてみる
街は死んでいる
さわやかな朝の風が
頸輪ずれしたおれの咽喉につめたい剃刀をあてる
おれには堀割のそばに立っている人影が
胸をえぐられ
永遠に吠えることのない狼に見えてくる

夕陽

夏草のうえの屋根が
すっかり見えなくなった
さっきまで子供たちが戸口から顔を出していたのに
みんな見えなくなってしまった
わたしの背後で
町はだんだん小さくなってゆく
なにもかも光と影のたわむれにすぎない
ほそい声で虫がないている
なんだってはじめからやり直したりするのか
思出の片隅でじっとしていればよいのに

さあ丘をのぼるとしよう
この夏さえすぎれば
また冷たい風が吹いてきて
わたしの心をいたわってくれるけれど
空を追いつめて ここまでくると
これはもう丘とはいえない
高いところへ追いつめられて
さらに高い頂きから
より高い青空の窪みへ落ちてゆく
ああ 虚心の鏡に映る
いちばん深い青空よ
これは爽快だ わたしにも
とおくて近いこんな夕陽が沈みつつあったのか

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