小説家の新しい生活様式

エッセイ

近頃、図書館で文系雑誌を借りた。その図書館自体にも、実はもう10年以上も入っていなかったかもしれない。そのため、受付の眼鏡をかけた司書的アルバイト女性に図書館利用カードが紛失した旨話をしたところ、貴方の名前と住所とあなたを証明するものを見せて欲しいと言われた。免許証を渡したところ、貴方の図書館利用カードの登録はないと言われた。どうも図書館利用カードにも時効があるみたいだ。それでは新しく発行してもらいたいとお願いをしたら、パソコンブースに連れて行かれ、そこで発行のエントリーをしてくれと言われた。それを最後までエントリーしてペーパーが出てきたら、受付にそのペーパーを持ってくるようにとも言われた。まあ、そうなんだろうな、今は何でも自分であるところまでデジタル化していくんだろうなと思いつつ、一心不乱にパソコン画面で何か景色を見ている三十代後半であろう無精ひげを生やした男の横で、自分の個人情報をエントリーしたのであった。その男は、俺がエントリーを終わるまでの10分間ほど、全く俺の方を見もしなかった。受付に持っていき、印刷されたペーパーを持っていくと、直ぐに俺の新しい図書館利用カードが出来た。俺は隣の区に新しい利用カードを創れたのであった。

それで、この図書館にあるであろう資産運用系の月刊雑誌のバックナンバーをすぐに探したのであるが、その雑誌は新刊以外は全て借りられていて、何一つ無かった。まあ、こういうもんだろうなと俺は思ったのではあるが。実は、それまで、幾つかの定期購読をしていた資産運用系の月刊雑誌をこのコロナ禍になってから、止めたのである。一番大きな理由は、買い始めてから10年以上経つのだけれど、それを材料にすることで大きく資産が増えたかというと、そうでもなかったからということとその増えない資産の為にこれを購入するお金が自分の支出部分として勿体ないということを痛烈に感じたからであった。そして、その資産運用系雑誌は図書館を幾つか廻ったらあったのである。図書館で読んで重要なところだけノートすれば良いし、場合によっては前月以前分は借りていって、大事なところだけスキャンしてデジタル化しておけば良いのではと今頃思ったからなのである。モノを持たない。大事なことは記録し記憶化させておけば良いのである。それも今時流行のミニマリスト風ではないか。

まあ、そういうことで、新しい図書館で図書館利用カードを作ったが、お目当ての資産系雑誌は借りられないので、発想を転換して、文芸雑誌の過去本を借りることにした。それはどうしてかって言うと、近頃全く文芸系の月刊雑誌を読むこともしなくなったからだろうね、多分。で、2つの「創刊1400号記念特大号」文芸雑誌とオモロイ若い芥川賞作家の新作が載っている文芸雑誌を借りてきたのであった。記念特大号は、その文芸雑誌と関わりの深かった作家の短編小説やちょっとしたエッセイが載っていて、それはそれで大変面白かった。もう1つの若い芥川賞作家の小説は、資産運用にかける三十路になった女が主人公の話で、これも大変面白かった。若者の金や資産に対するスタンスや生き方の考え方などについて、現代を結構深く突き刺していて、勉強にはなった感じがする。

結局、どっちの月間文芸誌を楽しんでしまった俺がそこにいるわけだけれど、それは、そういう世界から結構離れていたために、そっち方面の人から見た現代を知ったことに感銘を受けたんだろうなと思うのである。まあ、人間、違う側面から、自分や自分の関係する社会の仕組みを知らないといけないなと思い至ったというのが、本当のところだね。どうも近頃、自分から自分の関係しない世界からの情報を遮断し過ぎていたかなとも思ったりしたね。

そんな中で、今回気になったことの1つには、小説家が結構歩くことが好きなんだなと知ったことにあるんだね。「私の新しい生活様式」って欄があって、そこに何人かの小説家にコロナ禍でどういう生活をしていたかを尋ねるところがあったんだね。それは、結局何を意味するんだろと考えてみたんだけど。

まずは、そのエッセイ風的な記載の中で、彼らは、自分たちをこう捉えていた。例えば、自分の中で、作家は居職であるという言葉を使ったのは奥泉光だった。つまりのところ、引きこもりなのである。それで良いのかという話になっていくのだけど。彼はしかし、ウォーキングはしない。精神的な引きこもりだけでは駄目であるという提案のみだ。木村友祐はコロナ禍以前から小説を書く者はリモートワークみたいだったとも言う。

そんな実態の小説家たちは、外に出始めていたのだ。コロナ禍で外出を控えていた佐伯一麦は座業による運動不足解消のために、せいぜい散歩することを心掛けた。そして、靴に行き着く。結局、厚底シューズを購入することになる。腰への負担が少なくなったと書いている。

天童荒太は街を歩いていた。閉店した店や解体しているビルを眺めながら自分の自宅近くを歩く。散髪に行くために。

古川日出男は、毎日、だいたい十~十三キロを歩行する。無職のような雰囲気で、トレーニングするいうわけでもないのに歩いている。そして、自分には散 歩者とかトレーニングするとう目的意識はない。ただただ、近所を観察するがために歩いているようなものだ。自宅の5キロ四方を通過する土地、ご近所の拡張としてただただ歩いている。なので、彼はコロナ禍の中での自分の新しい生活様式を「X時間で歩ける範囲をご近所とする生活様式」と呼んでいた。

小説家は歩くのである。トレーニングでなく、引きこもりや座業・居職を解消するために。無職者のように。そこにあるのは、結局は、閉じこもりがちの自分の中にある仮想空間・疑似空間を刺激するためなのかもしれない。結局は、彼らは、ウォーキングをしていても、小説家としてのもう1つの自分で作りあげている世界にいるのだろう。引きこもりの中での自分の頭の中の仮想空間を維持していくために、逆にコロナ禍という外的圧力を理由にただただ無職者のように歩いていたのであった。ちなみに、村上春樹は、走っているけど。

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