中原中也への思慕を何面まで書いていこうか。今回は、その中原中也の第3回目で、『C面』です。特に、自然編ですかね。
中原中也は自然を詠う。それは、渓流であり川であり水であり海であり滝である。その自然の中で、中原中也は、自分をしっかりもって自分と自然を対比して自分を詠う。そこにいるのは何故?そこから貰っているものは何?
月の光も、お天気の日の海も、雨の降る日も、渓流で冷やされたビールも、川の水も、全ては流れ、流れているのです。自分の周りを。
そのことを無視できない自分がいます。メルヘンのように見えても、そこには、結構ドギツイ現実の刃が隠れています。
自然の中から、僕は、それでも、立ち上がります。
そんなことを、中原中也が言っていそうですね。
渓流
渓流(たにがわ)で冷やされたビールは、
青春のように悲しかった。
峰(みね)を仰(あお)いで僕は、
泣き入るように飲んだ。
ビショビショに濡(ぬ)れて、とれそうになっているレッテルも、
青春のように悲しかった。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云(い)った。
僕も実は、そう云ったのだが。
湿った苔(こけ)も泡立つ水も、
日蔭も岩も悲しかった。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流(たにがわ)の中で冷やされていた。
水を透かして瓶(びん)の肌(はだ)えをみていると、
僕はもう、此(こ)の上歩きたいなぞとは思わなかった。
独り失敬(しっけい)して、宿(やど)に行って、
女中(ねえさん)と話をした。
海は、お天気の日には
海は、お天気の日には、
綺麗だ。
海は、お天気の日には、
金や銀だ。
それなのに、雨の降る日は、
海は、恐い。
海は、雨の降る日は、
呑(の)まれるように、恐い。
ああ私の心にも雨の日と、お天気の日と、
その両方があるのです
その交代のはげしさに、
心は休まる暇もなく
一つのメルヘン
秋の夜(よ)は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。
陽といっても、まるで硅石(けいせき)か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄(いままで)流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……
ナイヤガラの上には、月が出て
ナイヤガラの上には、月が出て、
雲も だいぶん集っていた。
波頭(はとう)に月は千々に砕(くだ)けて、
どこかの茂みでは、ギタアを弾(かな)でていた。
僕は、発電所の中に飛び込んでいって、
番人に、わけの分らぬことを訊(たず)ね出した。
番人は僕の様子をみて驚いて、
お静かに、お静かに、といった。
ナイアガラの上には、月が出て、
僕は中世の恋愛を夢みていた。
僕は発動機船に乗って、
奈落の果まで行くことを願っていた。
糸が切れた、となさけない声。
それは僕の釣友達であった。
わたしのをお使いさんせー、遠慮いりいせん、
それは船頭の息子だった。
滝の音は、何時(いつ)まで響き、
月の光は、砕けていた。
間奏曲
いとけない顔のうえに、
降りはじめの雨が、ぽたっと落ちた……
百合(ゆり)の少女の眼瞼(まぶた)の縁(ふち)に、
露の玉が一つ、あらわれた……
春の祭の街の上に空から石が降って来た
人がみんなとび退(の)いた!
いとけない顔の上に、
雨が一つ、落ちた……
黄昏
渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、
寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。
音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)う……
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。
――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです
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