近頃、『ベンチシート上のテレーズ』がニューヨークのクリスティーズでオークションに出品され、バルテュスの作品として過去最高額である1900万2500ドル(約21億円)で落札された。その画家であるバルテュスについて、少しだけ、触れてみようではないか。
略歴
バルテュス(Balthus, 1908年2月29日 – 2001年2月18日)は、フランスの画家。本名はバルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ (Balthasar Michel Klossowski de Rola)。
ピカソに「二十世紀最後の巨匠」と称えられた。
父親・ローラ紋章のエリク・クウォソフスキは東プロイセン・ラグニットのシュラフタ(ポーランド貴族)で、母親エリーザベト・シュピーロはノヴゴロドに起源をもつブレスラウ(ヴロツワフ)生まれのロシア・ユダヤ人。
ほとんど独学で絵を描いたバルテュスは、ルーヴル美術館で古典絵画の巨匠たちの作品を模写したが、なかでもピエロ・デラ・フランチェスカの影響が大きいとされる。古典を消化した、堅固な構成と繊細な描法でモニュメンタルな女性や少女像を多く描いたが、活動当初はシュルレアリスムや表現主義の全盛期であったため、作品の売り込みに苦労したバルテュスは一時衝撃的な題材を描き、話題集めに苦心した。
Wikipedia一部伐採
日本人の奥さん
1962年、パリでの日本美術展の選定のために訪れた東京で、当時20歳だった出田節子(いでたせつこ)と運命的な出会いをした。当時、離婚していなかったし、フランス中部・シャシー村の城館で8年間も生活をともにしてモデルを務めた義理の姪フレデリック・ティゾン(Frédérique Tison)もいた。節子とは1967年に結婚した。節子夫人も画家であり、2人の間には1973年に誕生した娘春美(ハルミ・クロソフスカ=ド=ローラ、ジュエリーデザイナー)がいる。バルテュスの生前、本人の意志により夫人は基本的に和服であった。
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ハードボイルド展覧会
Thérèse Dreaming(夢見るテレーズ)
憂鬱
ベンチシートの上のテレーズ
The Game of Patience
マンドリンと少女(未完)
図録 バルテュス展 東京ステーションギャラリー 1993
バルテュス関係資料
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