ハードボイルドな孤高の作家に、どこから切り込んでいく?
丸山健二は独自の道を行く。
小説は売れていないのではないか?
自分のスタイルを変えない男。
これから、時々、丸山健二を書いていく。
まずは、小説ではなく、Monoの対局にあるような庭から。
Monoに囲まれる自分
新しい朝の光を見ると、そして、その光を浴びると、それはそれで心がほっこりする。幾つになっても、変わらない気持ちになる。
モノに囲まれる。物質経済の中でウロチョロする。それはそれで気持ちが良い。
新しい自分を探すのに、その中にだけ居て良いものか、考えてしまうことはある。所詮、東京の都会の中は、金さえあれば、住みやすいし。
Monoを紹介することを意識したブログだが、そんなことで良いのか自分という気にもなってしまう。
別に、ミニマリストになりたいわけではない。Monoから離れたいわけでもない。だが、Monoに執着し過ぎるのも、朝の新しい光を浴びると、違うような気もしてくるのだ。
Monoで心を満たさない
言ってみれば、私は、Monoを購入することで、多分、今まで、大変気持ちが良くなったことが多かったのだ。それはこの歳になるまで、変わっていない。
本当に、ストレス発散になるのだから。特に、ムシャクシャした時は。
丸山健二の庭
庭に、情を込めた男。
小説家。丸山健二。
文壇と決別し、時代の流れの小説風潮とも別れ、独自の世界に生きる丸山健二。
そこにあるのは、金やMonoの世界を拒んだ雰囲気だ。
ここまで、自分の家の周りを草花で埋めた小説家はいただろうか?
信州の中にある丸山の自宅。そこを深く大きく囲む庭。
そこにある草花と庭は確かに金とモノの購入により出来たものだが、どうにも、都会にあるMono至上主義とは違う感じがする。
そこにあるのは多分Monoではなく、生命なのだ。
主人が死した後も、続く永遠の生命なのだ。
男は、自分の周りをMonoで埋めなかった。草花で大きく埋めた。
丸山健二と高倉健
ハードボイルドな作家丸山健二と高倉健は繋がっていた。
丸山健二の小説「鉛の花」は高倉健そのものがヒューチャーされた小説だ。
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