リアルであること

エッセイ

リアルって、何?ということになるのだが、それは、フェークの反対語としてのリアルではなく、この世界のリアルをどこに求めたら良いのかということだとして、それについて、ちょっと考えてみるのだということになる。

この長ったらしい言い回しが気になることも無視して、俺は、リアルを考えてみる。そもそも、近頃、SNSが発達してしまったことで、少年少女から中年中女にかけて、スマホを握っていれば、そこにリアルが存在するっていう風潮になっているのは間違いないようだ。

ツイッターやインスタグラムやブログやTiktokやYouTubeなどのオンパレードのインターネットの揺りかごの中にいたら、それはそれで、とても心地が良いのだろうね。だって、今あるヒットしているSNSは、自分が主役であることが基本なのだから。

そうなんだよね。実は、この20年近い時代の風潮は、自分が主役でいられる世界の構築に努めているんだよね。だから、自分が主役でいられないようなテレビの世界には、オサラバしていく若者が増え、はたまた、あのイラつくように長い長いコマーシャルにもオサラバしていく人が増えてしまったのだよね。お前ら側の自由で勝手に情報を流してくるんじゃないの!ってダメ出しをしている最中なんだろうね。テレビは、その一番の矛先になっているね。ラジオは、そこまでは行っていないようだけどもね。

老年老女は、今もテレビに結構すがっているようだけど、それは頭が固いのと新しいことを覚えるのが難しいことと現状維持が楽だろうからだろうね。

で、話は飛んだけど、リアルのお話。ネットで繋がり自分が主役・主人公で何となくいることが出来ると、その場を一応、その人はリアルな現場というか現在と位置付けるんだろうね。自分の前に、流れてくるネットを通じた情報・ニュースもリアルってことになっていくのだろうか?

インターネットを通じた中での人との繋がりの中にリアルを見出している人が多いのは間違いないはず。コロナ禍で、リモートライフとテレワークが充実してきたので、実際に人と会うことが少なくなっていく。それが、今のリアルなのだろうが、それは果たして、人と人との関係や繋がりにどういう影響を与えていくのだろうね。

この2年、特に、自分に向き合っていく時間だけが延々と流れていた。少し昔の、酒を飲んでの、唄を歌っての、一緒に会議をしての、机を密に並べての仕事をしてたの、等々の、世界はとうに無くなり、電子メールやスマホやズームの画像の向こうに人がいるのが普通になってしまった。これが、今のリアル?

こういう流れの中での「人と人との繋がり」ってのは、どうなんすかね?とても、ある意味、気が楽になったってところもあるのだけれど、逆に、とても、仲良かった人とも希薄になってきたところもあったりして、電子化の中にいる人との繋がりっていうのは、どうなんだろうね?人との関係性が希薄であることが、今のリアルなんかな?

いいね!ってコメントすれば、その「いいね!」情報やコメントがリアルに転換していく世界って、それはそれも1つのリアルなのかなぁ?難しいっすよね。しかし、そういうところにしか、自分が主人公であるべき位置というか地位を持てないとしたら、この傾向は、ITというAIに繋がっていく世界が続く限り、リアルとして存在していくんだろうね。

デジタルがフェークであったことがいつの間にか消えてしまい、それすらもリアルになっていくという世界。フェーク自体すらも呑み込んでいってしまうのであろう今の、そして、これからのリアルが少し、怖いって思っているのは私だけなんでしょうかね。

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