有名人接近遭遇話

エッセイ

芸能人やアスリートや政治家や科学者や小説家などの世間的な有名人・著名人に逢ったことがあるか、遭遇したことがあるかということが素人というか一般人の間で話題になることは時として、昔からある。かくいう俺でも、それなりにある。それを有名人遭遇と言って良いのかわからないが、瞬間の短い間にそれなりの有名人と接近遭遇している。それが自分の人生にとって、どう意味があるのかと言うと、全く無意味というのが実体でなかろうか。何故なら、自分の場合は、かなり長い年月の間、そういう接近遭遇の事実を忘れてしまうのだから。当然、その人の推しメンでないからというのが一番の理由ではあるけれども。それでも、その遭遇したその時には結構驚いたこともあり、それはそれで、やはり世界が違う人っていうのがいるんだろうなとも思ったことも間違いないのであるが。

例えば、こんなことがあった。社会人になり、東京の丸の内にある会社の本社から東京駅の丸の内側の駅前を足早に歩いていた時、少ない人数だったけど、撮影スタッフとその人がいたのだ。確か昼前で、人通りは少なく珍しくそっちの方向へ歩ているのも俺一人であったかもしれない。その撮影集団の横を通り抜けようとしたときに、初めて俺は気がついたのであった。その女(ヒト)の顔と姿に本当に俺はビックリしたのだ。スタッフの背中に隠れていたのだろう。スタッフを追い越したときに、俺はハッとしたのだった。何だ、人形か、人間ではないとまで思ったのだ。とても顔が小さくて体が細くて、そして、色が白かったのだ。でも眼に光があり、俺の顔も見てくれたのだ。(と勝手に思っているが)すぐに、それがS口Y子であることは判ったのだが、映画やテレビで見るところの本人が像とは全く違うフォルムだったのである。こんな人がいるんだとも俺は通り過ぎながら思ったのである。地球人ではない。宇宙人に近いくらいを初めて見たというような感覚であったのである。この世にあり得ない存在。これは、どう考えても、あり得んだろう。こんな人であれば、誰もが普通だとは思わないだろう。当然誰もがエンターテインメントの世界に置いておくしかないだろうなと思うだろうなと。兎に角、衝撃的な存在が目の前に突然現れたのであった。映像と実際の本人との違いに、逆に驚いたのである。映像が彼女のそのフォルムの凄さを追えていないという事実を俺は知ったのである。これが、本当のオーラっていうヤツなのか。凄い瞬間であった。しかし、そのことも長い年月の中で俺の中では静かに眠っていくのではあるが。

そうかと思えば、昔に、次のようなこともあったことを俺は思い出してもいた。俺はその頃、中部地方の海のない県で仕事をしていた。転勤してきたのである。始めて行く県であった。まだ若く結婚もしていなく、都会ではないが夜の街にはそれなりの面白いシティ的な店もあり、楽しい独身生活を楽しんでいた。スキーを覚えたのもこの頃である。この県はそれなりに広くて北の方には有名な古都的な街が2つもあった。両方とも、それはそれで奥の奥にあったが伝統に根差した文化があった。あれから長い年月が流れたが、その頃は今ほどブレークはしていなくとてもアットホームでもあったのだ。そんなところにいたある日の晩に、突然、会社からあてがわれていたマンションの固定電話に電話がかかってきた。結構深夜だった気がする。東京の大学に行っている妹からだった。その電話の内容はこんな感じ。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、今、どこにいると思う。」         「え?何?」                             「テレビ局。フジテレビ。」                       「今横にね、キムタクがいるんだよ。キムタク」             「え?どういうこと?」                        「それでね。彼がね、電話に出てくれるって言うのよ。今替わるね」   「え?え?」                                「どうも、木村拓哉です」                      「え?はぁ・・・・・兄です」                             「・・・・・・・・」                                    「・・・・・・・・」                         「お兄ちゃん、話をした?じゃあね」

自分と木村拓哉との会話は他にもあったのかもしれないが、それは覚えていない。「・・・・・・・」の気まずい時間が結構長くあったことは確実に覚えている。突然の電話で、声のソックリさんによるイタズラとも考えられるが、それは絶対に違う。当時妹はその大学の結構有名な放送研究会というクラブに所属していて、テレビ局等のマスコミとも関係していたこと。テレビ局の仕事を手伝っていたこと。兄に嘘をついたり騙すというようなことはその時までもそれから後も一度もないこと。総合すると、電話の向こうは木村拓哉で横にいたのが妹であることは間違いなかったである。だが、電話が遅い時間で自分が酒も飲んでいたあたりで眠くもありボッーとしていたこと、気の利いた言葉を発せられなかったこと、電話の意味が良く判らなかったこと、などなどで、木村拓哉との電話は長い沈黙の時間となったのである。確かにキムタクに接近遭遇したのである。それも電話という声の世界だけで。加えて、二人とも無言で。

このことも、実は有名人との接近遭遇というこのテーマで記事を書いていることで思い出したことである。遠い昔の話だ。今の今まで忘れていたのだ。こういうことがあっても、俺は翌日、普通に仕事に出掛けていったのだ。そして、多分、何だったんだ昨日は、程度のことは1回か2回思い出した後、忘れていったのだ。目の前での現実の本人を妹のように見てもいないし、バーチャルな感じであったのかもしれないな。

有名人に遭遇していても自慢にもならないし、何故かすぐに忘れてしまうし、誰かにこんなことがあったんだぜという話もしたことはない。その後、それなりの有名人に接近遭遇をしているのだが、全ては忘却の彼方に行ってしまったような感じである。

現在の時代は、正直言って、芸能人などの有名人と一般素人の間がとても消えてしまったというか、隔たりのあるような世界ではなくなってしまったと言えるだろう。推しメンにとても近くにいれるようになったし、SNSの普及によって、芸能人を軽く超えてしまう一般人の台頭がある世界だ。

当時はテレビが多分一番のパワーを持っていた時代で、昭和というのは芸能人や有名人はかなり遠い人であったのだ。だが、どちらにせよ、俺は接近遭遇しても何か爪痕を残すようなことは一切なかったし、むしろ冷めていたのかもしれない。興味がそこに行っていなかったのか。

唯一、今も心に残っているし、その出会いは良かったなと思う有名人はいる。その人は具志堅用高である。この接近遭遇に関しては、良き思い出として自分の中に残っている。

あの頃は、都内で仕事をしていて、仕事のパートナーの弁護士が日本ボクシング協会の顧問弁護士であったこともあって、よく後楽園のボクシング場に試合を観に行っていたのだった。その先生が紹介してくれたのが、具志堅用高だ。この人は、その頃も今も全く変わっていない感じがする。あれだけの偉業をなした人なのに、全くもって、低姿勢というか、芸能人ヅラも威張ったところもなく、むしろそんなに同じ目線で良いのというくらいに、とても、そのままの自然体で偉そうなところが全くない人だった。人を疑うことを知らないような、ありのままの自分を見せてくれてた。本当に、ちょっちゅね、ていう感じだったね。人を倒せるボクサーとしてではなく、今まで出逢ったことはない不思議な『いい人』のオーラがあったのだ。

実はこれ以外にも、何人かの有名人に接近遭遇している。俺の場合は、本当に、少ないのかもしれない。コンサートに行くとかは接近遭遇ではないが、本当に近くで会話を交わすとかのシーンがあるかないかの話。そういう点からすると、余り有名人には逢っていない。逢ったとしても、書いたように、今の今まで、そのこと自体も忘れている始末なのである。確かに、接近遭遇した上記の3人にしても、俺は映画やテレビで彼らを見ても、長い間、そういうことがあったことすら忘れていた。推しメンでなかったからなのか。別の世界の人と思っていたからなのか。

有名人接近遭遇自慢をする人がいるとしたら、それって、何なんだろうね。それはタダの瞬間の接近なのに、何か意味があるんだろうかね。どうでも良いことなのだけど、沢口靖子は人間でなく人形、キムタクはキムタクの喋りだったし、具志堅用高は人の良さが全面に出ていた今時珍しい人だったという過去の事実だけがあったことは間違いないのだ。だから、何なのだ。オーラという世界はあるような気はする。不思議な存在が存在することに気づくということもあるかもしれない。瞬間で自分とは全く違う構造をしている人間が目の間にいるということ自体は、確かに凄いことかもしれない。しかし、そこから、波動を受けて自分の何かが変わるということはなかったな。誰かを推していくということは自分から寄っていくことであり、接近遭遇した時から心を奪われてしまうという経験を本当に持っている人がいれば、逆にその人に出逢ったみたいと思うのだな。いるのだろうか、そういう人が。有名人接近遭遇で今一番感じることは、実はそんなところだったのだ。クダラナイ結論だったかもしれないけれど。

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