軽い話から思うこと

エッセイ

軽い話を作るってことは、結構大変なことなのである。それは、テレビでやっている「すべらない話」同様に、意外にありそうでないことで人を少しだけ驚かすことも大変なのである。軽いってことは、実は、重いってことよりも重いかもしれないのだということに気づかなくてはならないのかもしれないのだね。矛盾しているようだけど。近頃、そんなことを感じている。僕らの意思決定や行動って何だろうなって。

君の周りにいる人で軽いって言われる人はどんな人だい?異性に目がないとか。良く外で遊んでばかりいるとか。面白い話を次から次へ良く喋るとか。体は太っていなくて、むしろ瘦せ型系で、それなりに長身で、いつも笑みを浮かべているような感じだろうか。

そんな人は君の親友だろうか。それとも、友達だろうか。それどころか、あまり付き合いはなく、学校や会社やクラブなどに行ったりすると、その集団の中にいつもいるっていうような人だろうか。

軽い話をする人が軽い人であると君は思っていないかい。本当にそうだろうか?多分、軽い話をする軽い人と決めつけるのは、多分、早計であるのは間違いないのではないだろうか。

軽い話を軽く話をできる人というのは、実は、とても、頭が良いのではないのだろうかと歳を取るたびに感じてきている。そして、もしかしたら、そういう軽い話をデキル人は、実はとても人生や現実や物事に対してある意味クールな目で客観的に見る力を備えている人ではないだろうか、とも思ってきている。その表面だけに囚われてはいけない。実は、今までのその人の経験してきた重いことがあるために逆に軽く飄々と生きていて軽い話もするっていうことも多々あるようだ。

だから、軽い話っていうのは、ナカナカ、手強いのである。軽い話を聞いて周りの皆が笑っている時にこそ、これからは、その話を聞きながら、君は、その人を注意深く観察するのが良い。とても、そこから、大事なことを知ることが出来るかもしれないのだね。

私の人生でも、振り返ってみると、その時代時代に、人からは軽そうに見えると周りの人間が評価していた人達がいた。大体において、そのような軽く思われている人達は、往々にして、言葉使いが優しかった感じがする。そして、それなりに良く喋っていた。人として、陰には見えず、陽に見えた。笑顔が多かったような気もする。多くはなかったが、そういう軽い人で軽い話をする人と仲良くなり深い友人に変わったときもあった。その中で、改めて判ることがあったりした。とても、深く傷ついていたり結構慎重に物事を見ているという裏の心根(表って言った方が良いのかもしれないが)を持っていたことである。だから、更に、彼のことが好きになったりした。

まあ、世間で言うところの、「人は見かけに寄らない」ってな辺りの話になっていまうのだろうが、軽いっていうのは重いっていうことがあるから軽いのがあるのだなとバカみたく感じ入ったことが経験的に何回かあるのだ。

人の裏と表。人間のペルソナ。ジキルとハイド。この周辺の人間心理学的なエリアに関係していくことでもあるのだね。これは。軽い話ってのは。

そして、これは意思決定における直感とバイアスの問題でもある。印象や考えの殆どが、実は、どこから出来てたのかわからない如く、人の意識経験の中から浮かび上がってくるという実態にあるのである。それは、簡単に言うと、先入観の意識の問題でもあるのだが。この意志決定における直感とその直感が外れた場合のエラーというバイアスが何なのかを客観的に見極めることが出来れば、軽い話をする人は軽い人であるのかということをしっかり見極められるのであろうが。

その手の話が理論的に知りたいのなら、東大生協でいちばん読まれた本として売り出されているノーベル経済学賞受賞のダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』だろう。


ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 文庫 (上)(下)セット

我々の直感は間違ってばかり? 意識はさほど我々の意思決定に影響をおよぼしていない? 心理学者ながらノーベル経済学賞受賞の離れ業を成し遂げ、行動経済学を世界にしらしめた、伝統的人間観を覆す、カーネマンの代表的著作。2012年度最高のノンフィクション。待望の邦訳。

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