来る新しい4月からの人事異動が発表された。
俺の職場は所帯20人という小さな人数の会社の中でも一番小さな組織である。だが、今回の人事異動発表で親しくして頂いた3名のうち2名が退職、1名は別の部門への異動となった。
残った俺は職場の他の人とそりが合わないところもあるが、何故か、この3名には、殊の外、大事にしてもらった。退職に追い込まれた二人は定年時期を迎えていたとはいえ、シニア社員としての継続を切に希望していた。異動と相成った一回り若い彼も、ここの仕事に情熱を傾けて真面目に仕事をしていた。
仕事を一生懸命にする人間を簡単にリストラしてしまう、仕事をしない上席のこの企みに、俺はいつものことだが、義憤を感じた。何か、彼らのこのような非道な対応に一矢を報えないか、俺は考えた。
辞めていく彼らや異動する彼にも声をかけたが、帰ってきた言葉は「これが世の中の仕組みだし、この会社の有り様なんだよ。そんなにいきり立つなよ。淡々と静かにしていれば、君だって生き残れるさ」だった。どうして、そんなに、従順になれるのだ。こんな不当なことを受けて。多分、葛藤の後、こういう結論を自分に持ってくるしかなかったのであろう。とてつもない修羅の後には、穏やかで静かな時間が流れるという・・・。
毎年おこなわれることだが、今回の異動内容は酷いものだった。仕事に真摯な優秀な3名がいなくなるので、大変な仕事の停滞が続くことが十分に予想されるものだった。
だが、そんなことは、仕事をせずに高い年収を得ている上席には、どうも、どうでも良いらしい。自分が安泰でそのためのリストラでのツケは末端の平社員にお与えになり、そして、すぐに業務停滞になった場合でも、その者達の責任として更にリストラをしていく。負のスパイラルである。彼の更に上の役員クラスの上司が気づかなければ、それで良いのだ。
こんな理不尽への義憤を自分の中で落ち着かせる方法を考えているものの、妙案は浮かんでは来ない。浮かんでいれば、こんなことになる前に、何とか手立てがあったはずだろう。益々、自分が哀しくなってくる。
実は、今回異動指示の出た優しき彼は、彼の仕事結果を自分の成果にすることから始まり陰に陽に彼をイジメていく上席の止まらないハラスメントに精神的に追い詰められ、産業医相談やパワハラ報告をしたが、人事部も全くのなしのつぶてで、逆に彼を異動させたのであった。
つまりだ。腐っているのだ、多分、この組織全体の管理職の意識が。コンプライアンスなど絵に描いた餅かもしれない。
おかしいと指摘をしたところから、指摘した人間が差別を受けるのだ。同族会社でもない民主的と思われる会社で、こんなことが当然の如くおこなわれている実態。組合も会社御用達であり、何ら機能しない。というよりも、会社使用者側のスパイではないかと疑うほどである。
こんな世界で、どうやって、一人で闘うのか。闘った若き社員は、体よく異動させられ、その大変な精神状態でも指摘した体制問題は上手に消え去られてしまった。
人は、当たり前のことだけれど、自分の局面から重点的に、目の前にある問題を捉えていく。自分側にとっての局面から見て悪と思える所業も、反対側である彼らの局面から見れば善ということなのかもしれない。だが、そんなことが今時許されて良いのだろうか。客観性とは何なのか。どうも、この組織においては、文句を言うなという単純なことなのかもしれない。信じられないことであるが。
そして、人は信頼する人がいるからこそ、働けるところがある。信頼できる人がいない世界での仕事の大変さは本当に大変なことだろう。これから、俺は、その四面楚歌の世界に入っていくのだ。とても、耐えがたいことであろうと予想できる。
今も、同僚達は上にゴマをすり陰で俺のことを上席にあることないことを言っているようだ。そう、人は敵を作ることによって、自分たちをフェイルセーフの世界に置いておくのだ。これこそが、小さな子供の頃から培われきている人間の本性なのである。彼らにしても、我々4人は自分たちのことを別に見ていると思っていただろう。実際、我々も彼らの振る舞いや行動を人として許せないと見ていたのだから。
しかし、全ての周りの人が敵になり俺は独りになるという図式は、全く予想していなかったのだから、この状況は、とても、自分にとっては、信じられないものであった。これから、どうなっていくのだろうか。自分に救いはあるのだろうか。仕事をするうえで。考えれば、考えるほど、迷宮の穴に入っていくのだった。
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