とても普通に生きてきたので

とても普通に生きてきたので、人に誇れるようなビックリするような話はないし、ショッキングな事件に遭遇したこともない。宝くじで大きな賞金が当たったこともないし、これはという物凄い人に出会ったこともない。ただただ、普通に静かに生きてきたと言える、人生だった気がする。小説が好きで映画が好きで漫画が好きで、こんなに面白いことが世の中にあるのかとワクワクしていたことが遥か昔の事のように思えてくる。近頃は、何故か、どういうモノを観ても読んでも、そこまで感動することもなくなってきた。それは急速に発展してきたデジタル化の影響によるものなのか、情報過多によるものなのか、はたまた、VILUSによるもののか、全く分からないが、心を揺さぶるモノとの出会いが少なくなった気がしてならない。幾つの時に失くしてしまったのだろうか。あの初恋をした時や女性を想った時にキュンと胸に来るあの不思議で素敵な感覚が戻ってくることは全くない。遠い昔にそれは失われてしまったのだ。胸の中が砂漠になってしまったのだろうか。むしろ、ザラザラしているのだろうか。干上がってまではいないけど、どうも白く眩しい砂漠の砂に脚を取られながら、歩いている感じがするのはどういうことなのだろう?かといって、アナーキーになっているわけでもないし、仕事はそれなりに経験の為す延長線上でこなしている。嫌いな上司も嫌いな同僚もしっかりといるし、好きな同僚もいる。顔には出さない術もおべっかというヤツも覚えたが、それもどうでも良いことのひとつだ。

とても普通に生きてきたので、大いなる夢を持って素敵な目標に向かって一生懸命に頑張っている人にはなれなかったような気がする。そこまで努力できる集中力も体力も精神力もそんな立派な人のように立ち振る舞いも出来なかった。だからといって、自分を卑下したこともないし自分を小さいとも思わなかった。鈍感なのかもしれないし、普通に生きるってのはそういうことなのかもしれない。嫉妬とか妬みとか怒りとかそんな煮えたぎるようなグツグツした器の中に入れることも出来なかった。人並みの正義感みたいなものはあったけど、カッコいい悪意ってヤツを身に着けることは今のところ、やっぱり出来ていない。カッコがかなり悪いかもしれない。

とても普通に生きてきたので、あまりというか、かなりかもしれないけど、自分って何って考えることもしてこなかった。だから。哲学的に物事を見ることに疎いかもしれない。物事を深く考察するってのが苦手かもしれない。論理的に科学的に総合的に事象の数々を分析できる人をみるとため息が出てしまう。凄い人だなと思う。きっと、地頭が良いのだろうね。でも普通の自分なので、多分今まで、普通に頷いて話を聞いてきたような気がする。アリキタリの人というのは世間の人からすれば、アリキタリで面白くないのかもしれないけど、話を聴くことはできるのでもある。と、自慢をしたりもする。普通に生きてきたので。

とても普通に生きてきたので、詩などというものを書いたこともない。自分の今まであったこととこれからあるであろう地平線の向こうにはとてもエポックメイクなことなど、多分ありようもない。だから、紡ぎ出す言葉は普通にアリキタリの言の葉になる。とても自然に普通の。自分にはこうでしかなかったし、これからもそうだろう。

とても普通に生きてきたので、普通に、家族を愛する。それは本当に普通にアリキタリなのだ。ただ、それだけ。つまらないように傍から見えても、自分では詰まっている。普通に。

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