トニー滝谷:村上春樹

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トニー滝谷

孤独と喪失

毎年のようにやってくる秋。今年も、このような世界の中で、ノーベル賞が発表されている。そして、毎年文学賞での話題となるのが村上春樹。なので、昔の自分の記事を一部リニューアルして、ここに載せておく。

加えて、この2020年に多くの俳優がこの世界に別れを告げた。彼ら俳優の演じてきたものが好きだったものには、とてつもない喪失感に陥った世界に違いない。こういうことが、孤独っていうものにも繋がるのかなとも感じた。

村上春樹の『トニー滝谷』には、そのあたりのことがテーマになっている。愛と孤独と喪失。次のステップにいくためにも、再度読んでみよう。

そして、夭逝した彼らの孤独を凄く感じるのは私だけであろうか。

2月の日差しの温かい土曜日の昼

何故、今、村上春樹の『トニー滝谷』なのか?自分でも良く判らない。

しかし、ここに書いておく必要がある気がしたので、記載することにしたのだ。

そんな理由でも許されるか。2月の日差しは温かい土曜日の昼だから。

トニー滝谷

映画のトニー滝谷

   村上春樹原作の同名短編を、市川準監督が映画化。ジャズ・ミュージシャンの息子として生まれ、「トニー」という名を付けられた主人公がイラストレーターとなり、仕事先の編集部員、英子と結ばれる。幸せな結婚生活で唯一の問題は、英子が次々と新しい洋服を買うという依存症だった…。イッセー尾形がトニーを淡々と演じ、英子役の宮沢りえも、言いようのない焦燥感を絶妙に表現する(彼女は妻の“身代わり”となる女性と2役を好演)。
   ゆっくりと左方向へ動いていくパン(水平移動のカメラワーク)が心地よい。トニーの幼い頃の生活から、仕事、結婚生活と移りゆく日々が、走馬燈のように画面を流れていく。カメラと被写体の距離感は、市川監督の『病院で死ぬということ』を思い出させる。西島秀俊のナレーション、坂本龍一作曲のピアノ曲など、多くの要素がマッチした映像世界が伝えるのは、孤独であることの哀しさと心地よさの二面性。結局、人間は死ぬまで独りであると納得させられながらも、それはそれで辛いのだという思いが、ふつふつと湧き上がってくる

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トニー滝谷の名前は、本当にトニー滝谷だった。トニーはずっと孤独だった。孤独でも平気だと思っていた。イラストレーターとして成功したトニーは、やがてひとりの美しい女性にかつてない恋心を覚えた。やっと出会えた最愛のひと、彼の人生の孤独な時間は終了した。ただ彼の一つだけ気になったことは、妻があまりにも多くの服を買うことだった。つかのまの幸福は、妻の事故死で失われ、衣装部屋いっぱいのサイズ7の服だけが残った。トニーは、妻と同じサイズの女性をアシスタントとして募集し、妻の服を制服として着てほしいと伝えた…

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本当に孤独になるということはこういうこと。『トニー滝谷』の感想
妻、父、思い出。喪って孤独になることの意味を問う。村上春樹原作、イッセー尾形、宮沢りえ主演『トニー滝谷』(2005年)の感想です。ネタばれがありますあらすじジャズミュージシャンの息子として生まれたトニー滝谷。彼はその奇妙な名前から周囲と上手...

小説のトニー滝谷

「トニー滝谷」 村上春樹
村上春樹作品についての解説や解釈は、ネット上に読み切れないほど溢れているので、ここでは肩肘張らずに思いつきレベルの個人的な感想を少しだけ書こうと思う。(多くの方がすでに読んでいるという前提であらすじは省略) 「トニー滝谷

どこに向かうのか?

村上春樹のこの短編小説は何を言いたいのか?

皆が言う指摘は、孤独について、書かれたものだと言う。そうだとも思うし、そうでないとも思う。

何故なら、村上春樹の主人公達は全てが孤独前提の人達ばかりだからだ。

そして、村上春樹の小説は喪われていくことの物語が多いからだ。ほとんど全ての作品が、喪失をテーマにしている。

孤独の意味するところ

トニー滝谷は、孤独だが孤独を感じることのない男だった。

大人になり、かなりの出来るイラストレーターにトニー滝谷はなった。

実物を見るよりリアルだと言われ、複雑な機械や建築物を克明に描ける人気のイラストレーターとなった。

そんな彼が孤独を感じたのは、ある娘を好きになり、結婚し、愛する妻を得たからだ。

彼女と結婚したことによって、トニー滝谷の人生の孤独な時期は終了した。朝目覚めると彼はまず彼女の姿を求めた。となりに彼女の眠っている姿が見えるとほっとした。姿が見えないときには不安になって家じゅうを探しまくった。孤独でないということは、彼にとっていささか奇妙な状況であった。孤独でなくなったことによって、もう一度孤独になったらどうしようという恐怖につきまとわれることになったからだ。

村上春樹:トニー滝谷

ここに、最大の孤独の持つ意味があるのではなかろうか?

孤独とは、孤独でなかった幸せな時間を持てた人が持てる不安のこと、なのかもしれない。

なんとなく、今の自分には、それが良くわかる感じがするのだ。

最後に

やはり、ここに戻るね。

こんなに天気が良くて暖かい土曜日の昼は、村上春樹の短編小説を読むに限るのでは。

おかしいかな?そう思いませんか?

孤独だとしても、こんな日があっても、良いよね。

終の住処:磯崎憲一郎

この村上春樹の『トニー滝谷』の小説における孤独について、同じような既視感を感じた作品がある。妻との孤独な関係を描いた作品なのでトニー滝谷とは設定が違うが、孤独の向こう側を見ていった作品という意味では同じステージにある感じがする。磯崎憲一郎の『終の住処』という芥川受賞小説の感じがする。

結局、小説とか映画とか漫画とかで深みがあるとか心に響くとか巷に言われる作品は、生と死と、そして、この孤独というものが深く関係してくるものであることに間違いない。

そういう観点で、例えば、小説を読むと、人生にとっての生きる意味を逆に知ることが出来るのかもしれない。


終の住処(新潮文庫)

結婚すれば世の中のすべてが違って見えるかといえば、やはりそんなことはなかったのだ──。互いに二十代の長く続いた恋愛に敗れたあとで付き合いはじめ、三十を過ぎて結婚した男女。不安定で茫漠とした新婚生活を経て、あるときを境に十一年、妻は口を利かないままになる。遠く隔たったままの二人に歳月は容赦なく押し寄せた……。ベストセラーとなった芥川賞受賞作。

内容解説

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