何も考えずに、自動筆記的に、最初の一文だけあって、そこから、話を紡いてみた。彼は、ナカナカ、刺激を与えてくれる。ショート・ショートの面白さは、どこに行くか分からないところ。それは往々にして駄文になるが。それでも、良いじゃないか。
それでも。
彗星が地球に与える影響について、考えたことはない。
偶然が重なりあって今があることについて、深く考えたことはない。
時間は普通に流れるものだと今も思っている。
人間の細胞を若返らせることなど出来ないと思っている。
今、目に映っている満天の星は過去の輝きだということくらいは知っている。
月が潮の満ち引きに関係していることも知っている。
輪廻転生があることも信じていない。
別次元があるという説も今のところ信じていない。
天国と地獄はない、はずだ。
天使はいない、はずだ。
それでも、彼女と出会ったことについて深い意味があると考えている。
そこには、古からの繋がりがあったとまで、考えてもいる。
逢うべくして出逢ったと思っている。
そうとでも思わなければ、説明がつかないことが多々あるのだ。
感情が理論を超えるとは、よく言ったものだ。
そもそも、そんな言葉があったか?
何故、彼女がこうやって、自分の前に現れたのか。
彼女の係累と自分の係累との間には、どこまで過去に遡っても、一度も関係を持ったことはない。
そう、何の関係も、今まで、なかったのだ。
なのに、私の前に、君が現れ、私たちは、とても、仲良くなった。
それは、本当に、月と地球のように、仲が良かった。
宝くじ的な偶然であるのには間違いない。
運命という言葉も嫌いだ。
しかし、それは、多分、確実に、予定されていたことに違いない。
何故なら、彼女は私の多くを知っていた。
私も、彼女の多くを知っていた。
幻想だと言われたとしても。
体のカタチも、皮膚の柔らかさも、鼻の形状も。髪の質まで。
声の高さも。目の大きさも。心臓の音も。脈の打ち方まで。
何故なら、逢った時に、二人とも、ようやく逢えたと思ったのだから。
そして、それは、決まっていたことのように、静かな瞬間だったから。
考える前に、見えた。
見る前に、感じた。
二人とも、それまで、ひとを愛したことも好きになったこともない。
そして、二人とも、書物以外の外界からの刺激物とは極力離れていた。
親の教育だったが、それを二人はむしろ今感謝している。
孤独で孤高であったが、気にならなかった。
彼女は私の知り得たことは多分全て知っている。
私は彼女の知ろうとしようとしないことの意味を多分知っている。
そういうことなのだ。
それだけのことなのだ。
本当に、シンプルなこと。
その時間にその場所に、彼女が現れ、彼も現れた、という、だけのこと。
他の誰でもなく、私なのだ。
他の誰にも代わることはできない、彼女なのだ。
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