伊藤健太郎に似合った詩人は誰か?
横浜流星と金子みすゞの詩のコラボレーションと同じように、横浜流星と匹敵する若手俳優の雄伊東健太郎にも詩人の詩とのコラボを勝手に考えたいと思う。
横浜流星の時に感じたが、彼の画像と金子みすゞがマッチして詩を詠みたくなるので、ただ日本語が書かれているよりも、とても好印象であった気がする。詩の心情が心に入ってきそうな雰囲気になるのだ。
そこで、伊藤健太郎。俳優としての彼の絵柄と似合い、良い響きを醸し出してくれそうな詩人は誰だろう。
横浜流星の繊細さとかは違う。ヤンチャさもありながら、結構真面目なところもある若い詩人のイメージ、って感じかな。当然のことながら、叙情はある。そんな人は誰だろうと近頃考えていた。浮かんでくるは、やはり、『中原中也』しか、いなかった。
今回は、伊藤健太郎とコラボする詩ということで、試験的に、中原中也との巡り合わせに挑んでみることにしました。
果たして、どんな感じになるのでしょうか?伊藤健太郎で、詩が心に染み入ってくるだろうかね?実験の始まりです。
まずは、有名な詩からですね。
汚れちまった悲しみに
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘かはごろも
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠けだいのうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気おぢけづき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
宿酔
朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。
私は目をつむる、
かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
白っぽく銹(さ)びている。
朝、鈍い日が照ってて
風がある。
千の天使が
バスケットボールする。
おまえが花のように
おまえが花のように
淡鼠(うすねず)の絹の靴下穿(は)いた花のように
松竝木(まつなみき)の開け放たれた道をとおって
日曜の朝陽を受けて、歩んで来るのが、
僕にみえだすと僕は大変、
狂気のようになるのだった
それから僕等磧(かわら)に坐って
話をするのであったっけが
思えば僕は一度だって
素直な態度をしたことはなかった
何時(いつ)でもおまえを小突(こづ)いてみたり
いたずらばっかりするのだったが
今でもあの時僕らが坐った
磧の石は、あのままだろうか
草も今でも生えていようか
誰か、それを知ってるものぞ!
おまえはその後どこに行ったか
おまえは今頃どうしているか
僕は何にも知りはしないぞ
そんなことって、あるでしょうかだ
そんなことってあってもなくても
おまえは今では赤の他人
何処(どこ)で誰に笑っているやら
今も香水つけているやら
海は、お天気の日には、
海は、お天気の日には、
綺麗だ。
海は、お天気の日には、
金や銀だ。
それなのに、雨の降る日は、
海は、恐い。
海は、雨の降る日は、
呑(の)まれるように、恐い。
ああ私の心にも雨の日と、お天気の日と、
その両方があるのです
その交代のはげしさに、
心は休まる暇もなく
どうだろうか
伊藤健太郎と中原中也。たかだか、4つの中原中也の詩と伊藤健太郎の絵柄で化学反応が起きたかどうかは判らない。だが、それなりに、彼の存在が、中原中也の詩の奥の方をインスパイアしてくれているような感じがしないでもない。そこは、私の勝手でもあるが、勝手上等。
これからも、伊藤健太郎と中原中也の詩とか、色々なコラボする何かを見つけていく所存。
彼にも、揺り動かす何かがある。オソロシイ程に。
G 健太郎 (写真集)
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