村上春樹

風の歌を聴け

風の歌を聴け

小説は 1970年の 8月8日に始まり18日後 に終わる。僕と鼠は ジェイズバーでたくさんのビールを飲み、ピーナッツの殻をそこら中に撒き散らした。鼠の黒のフィアット600で大きな事故を起こしてから、僕らはずっと友達でいた。二人はジェイズバーで、ビールを飲み続ける。
T・レックス

スプートニクの恋人

村上春樹のスプートニクの恋人。どうして、みんなこれほどまで孤独にならなくてはならないのだろう。どうして、そんなに孤独になる必要があるのだ。この惑星は人々の寂寥を滋養として回転を続けているのか?
エッセイ

猫の見つけ方

村上春樹は、大の猫好きである。その昔、彼の猫好きについては、エッセイの『村上朝日堂ジャーナル:うずまき猫の見つけかた』に詳しい。猫に学んでみよう。
小説

ノルウェイの森MonoMania

村上春樹の『ノルウェイの森』をモノや場所から見直すと、人生が少しだけ分かってくる。そこで、今回、ノルウェイの森というテキストに遅くなったが、手を付けることにした。死と生と人生。そこに関して、少しだけでも、自分には参考となる話。
エッセイ

村上ラヂオ:エッセイを語る②

今回の村上春樹のエッセイは、村上ラヂオ。その中の記事の「かなり問題がある」と「これでいいや」について、村上春樹の話と自分の感じかたを書いてみたね。外見的なことや厳しい批判なんかについて、気になったんで。
小説

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年:村上春樹

村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読む。こんな形での閉塞した今を受け入れていくのに何が必要かと色々考えたけど、僕には、やっぱり、慣れ親しんだ本をもう一度読んで、そこから勇気らしきものをもらうしかないので再読した。前に進むのに必要なことを改めて知った。
エッセイ

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか:エッセイを語る①

村上春樹のエッセイを読んでいると、その口調というか、雰囲気は極めてライトなのだけれど、書いている内容がフムフム((・_・D フムフム))という感じで、そうだよなと思わず手を叩くことが多い。そんなことで、今回は、そういう思いを感じさせてくれた記事を、自分の思うことも併せて、紹介しておきます。
小説

東京奇譚集ー村上春樹短編集

村上春樹の短編小説集である「東京奇譚集」について、モノの観点から、いつものように記事にしてみた。偶然の旅人、ハナレイ・ベイ、どこであれそれが見つかりそうな場所で。
小説

ソコナワレルことについて

村上春樹の小説では、主人公が、よく言う言葉が沢山ある。それは、喪失とか損われてしまったとかの言葉である。何故、このような言葉を多用するのか?ソコナワレルという言葉の向こう側にあるのは何なのだろうか?