中桐雅夫:ハードボイルド詩人館

スポンサーリンク
中桐雅夫

初めての赴任地と詩集

初めて社会人というものになり、一度も足を踏み入れたことのない海のない街に赴任した。その街は歴史的に有名な街で盆地のような感じでもあったし大きな川が流れていた。繊維問屋が駅前にあり駅裏には当時で言うところの有名なトルコ街があった。綺麗なお姉さんたちが電車で30分ほど南にある大都市から昼過ぎになるとその電車に乗ってご出勤をしていたことを想い出す。古くて古民家や小商いの店が駅前から演歌で有名になった夜の街通りまで多く並んでいた。誰も気に留めない歴史が残っていた。学生時代とは違う社会人としての初めての土地。そこに僕はいた。

その時は僕はどんな人にもなれる元気と勇気があった。何故か目の前はバラ色だった。そういう勘違いが出来る年頃でもあったのだ。ちょうど。まだ春だったけど大変暑かったことを覚えている。

その街に馴れた頃に詩人『中桐雅夫』を知った。若さに任せてそれなりの発露をしていた頃に知り合った女にもらった。この女はある意味ゲージュツカっぽい人だった。ゲージュツカだったがOLもしていた。OLが本業でゲージュツカは副業だったかもしれない。それなりのエロさが良かった。

『会社の人事』という詩集であった。何故、この詩集をくれたのか。僕に。僕は逢うたびに飲むたびに彼女に愚痴を言っていたのだろうか。


会社の人事: 中桐雅夫詩集

カスタマーレビューから

中桐雅夫を信奉してくれている人達はほんのわずかであるが、いる。

著者は大正8年生まれ、翻訳家であり詩人。この詩集は1979年に出版された彼の代表作ともいえるもので、翌年の第18回藤村記念歴程賞を受賞されたとのこと。戦中戦後を経験した著者の、時として叩きつけるように峻烈な言葉は、読み手をその場に立ち止まらせる強い磁力を放っている。
詩は、削りに削られていよいよ凝縮した、表現者の思いの結晶のようなものだと思う。この詩集に関しても当然好き嫌いはあるだろうし、古臭いと感じる方もいらっしゃるようだ。
ただ、詩人の持つ、人として普遍的な感情や硬派なスタンスに、世代を超えて共鳴する魂がどこかにあれば良いと願う。
「一篇でも気に入った詩があって、それを大事にして頂ければ…」それは中桐さんにとってこれに過ぎるもののない「詩人の幸い」だと、あとがきに書かれていた。

いくばくかの夢もあったのに、いつも飲み屋じゃ会社の人事の話ばかり。或る意味、中桐のこの詩によって会社人間の生態と真実は暴かれてしまっている。勿論この詩人にはもっと素晴らしい作品がいくつもある。

『あすになれば死ぬ言葉』などは戦後詩の遺産だ。読売新聞の記者だった中桐は常に世界と日常をつなぐ言葉で詩を紡いだ。彼の時評は鮎川信夫とはスタンスは違えど、そこらの作家先生ののほほんとした作文とはレヴェルがまるで違った。戦後の文学界は詩人の方が小説家より世界認識に優れていたという証しだ。中桐の本がほとんど絶版とは驚くべき業界の不作為、恥辱ではないか!

評者は会社員を20年以上やっているが、中桐雅夫がこの優れた詩において描いた光景はいまは昔の物語になってしまったという感が、特にこの5年は強い。色んな夢もあったのに、やりたいこともあったのに、いまでは飲み屋で会社の愚痴ばかり・・・というような、いまや牧歌的なお話なのである。しかし、この詩の強度には廃れないものがあるかと思う。おそらく、現在の40歳以下の「サラリーマン」たちには、ほとんど共感を得られないだろうが、それでも中桐雅夫の詩の力を評者は信じる。それは最早信仰のようなものだと、人からは言われるかもしれない。
中桐の詩も悲しいが、この詩が牧歌的で暢気なものだと言われるこの現実はさらに哀しい。版元が本書を生き永らえさせていることに深い敬意を覚える。

カスタマーレビューから

そんな中桐雅夫の詩。

なんだろう、彼の詩はサラリーマンの気持ちを代弁しているのか?その切なさが何とも良い。

会社の人事

「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」
顔色をうかがいながらおべっかを使う、
いわれた方は相好をくずして、
「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。

「あの課長、人の使い方を知らんな」
「部長昇進はむりだという話だよ」
日本中、会社ばかりだから、
飲み屋の話も人事のことばかり。

やがて別れてみんなひとりになる、
早春の夜風がみんなの頬をなでていく、
酔いがさめてきて寂しくなる、
煙草の空箱や小石をけとばしてみる。

子供のころには見る夢があったのに
会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。

おなじ未年(ひつじどし)の友に

きみは日記を焼いたりしたことがあるかい
おれはあるんだよ、五十になった頃の秋だ
天城の尾根で三冊のノートを捨てた
生きたくもない死にたくもない変な気持だった

過去との断絶、そんなことは不可能だ
紙切れはなくなっても記憶は残るからね
それでもノートはできるだけ遠くへ投げたよ
センチメンタルだと笑われるかねえ

「風立ちぬ、いざ生きめやも」
戦争前に覚えたこの言葉を戦争が叩き潰した
おない年に生まれて先に死んだやつの顔
悪を知らなかったあの顔が忘れられるものか

生きてゆくとはそういうことだろうかねえ
おれがおりてきた薄(すすき)の尾根道も長かったよ

おれの冬

夏がきたのでおれは海へいった、
隠していた過去を砂浜で焼きすててきた、
のこぎりの歯のような漣が、
おれの心をきいきい鳴らしてくれた。

冬がきたら、おれはこの世から出てゆこう、
気にいらぬ喫茶店から出てゆくように、
静かに勘定を払ってゆっくりドアをあけ、
はらわたをうじ虫にくわせにゆこう。

ことばが意味を失うと地獄の霧が湧いてくる、
埋めるひまもないほどの殺戮が始まる、
ひとつの惑星、このひとつの惑星が死ぬ。

途中で編み間違えたセーターは、
ほどくとまた新しく編めるけれど、
もう一度くる当てもないおれの冬だ。

やせた心

老い先が短くなると気も短くなる
このごろはすぐ腹が立つようになってきた
腕時計のバンドもゆるくなってしまった
おれの心がやせた証拠かもしれぬ

酒がやたらにあまくなった
学問にも商売にも品がなくなってきた
昔は資本家が労働者の首をしめたが
今はめいめいが自分の首をしめている

おのれだけが正しいと思っている若者が多い
学生に色目をつかう芸者のような教授が多い
美しいイメジを作っているだけの詩人でも
二流の批評家がせっせとほめてくれる

戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は
おれは絶対風雅の道をゆかぬ

足と心

「海はいいな」と少年はいった 「そうかしら、わたしはこわいわ」と少女が答えた 少年はほんとうに海が好きだったが 少女のこわかったのはなにか別のものだった

それからふたりの足はとげのうえを歩いてきた ふたりの心もとげのうえを歩いてきた やがて足も心も厚くなって とげもどんな鋭い針も通らないようになった

さらさら砂をかけられて こそばゆかったやわらかな足裏は なぜいま軽石でこすられているのだろう

とがった鉛筆のしんでつかれても うすく血がにじんだやさしい心 ああ、あの幼い心はどこで迷っているのだろう

コメント

タイトルとURLをコピーしました