映画 『TENET テネット』 の持つ意味
近頃流行った映画では、クリストファー・ノーラン監督のハリウッド映画『TENET テネット』があったけど、この時間を逆行するというストーリーはナカナカ面白いのだけれど、それなりに歴史のある世界でもあるね。テネットの中では、この時間逆行減少を生じさせるのは未来の武器ー未来人が作り出した時間を逆行させる装置「アルゴリズム」ーのことになるのだけれど、Wikipediaによれば、時間逆行はいわゆる僕らが知っている「タイムパラドックス」や「タイムトラベル」とは全く違う現象となるのである。この点を押えておかないと、この映画 『TENET テネット』 は結構難解な作品となり、何度も繰り返し観ないと、その意味がわからないことになってしまう。
本作は”時間の逆行”がテーマな為タイムトラベルがイメージされるが、あくまで見ている者目線での時間の逆戻りである。テレビで例えると、元々試聴していた場面から序盤の場面まで一気に戻ることはタイムトラベルの様式だが、逆再生した状態のまま戻ることが時間の逆行である。順行している目線から見るとその人物や物体が逆行する様に見え、逆行している目線から見ると世界そのものと同じく逆行している人物や物体以外の全てが逆行する様に見える。10年形式で例えるとタイムトラベルはその時間状態のまま10年時を遡れるが、時間の逆行は10年間を当人も10年同じ時を歩みながら10年時を遡る計算となる。
出典:Wikipedia
クリストファー・ノーラン監督 と言えば、「インターステラー」や「インセプション」などのSF系映画の天才であるが、今回も物理学的な限界というか時の概念大好き人間として、面白いチャレンジングな映画になっている。
ちなみに、時間を逆行して過去に戻った後、何をするかと言えば、過去の過ちを訂正するということになるのだけれど、このテネットの面白いところは、正しい行動が過去に戻って決まっているわけではなく、過去の時点での行動が良くなかったということを知っているということだけで、次なる最適解は不明であるという点なのである。意思決定と行動に制約を持たないわけである。映画では、そのことを無知を武器にするということになっていたね。
時間とは何か?
結局もってして、 クリストファー・ノーラン監督 の一番興味のある世界は、この「時間」なのであって、そこに、物理学的にアプローチしているところが凄いところなのである。時間について、実は、昔から物理学者は多くのことを考えていたのであります。そこに、ノーラン監督は注目をしているのである。
私達の日常の時間に対する感覚はどうかと言えば、次のようなことですよね。時間は、単純に、過去から未来へ流れていくものだということです。誰にも、動物にも虫にも植物でも何でも、全て、同じ速度で流れる時間の中に存在している。宇宙にあるあらゆる空間でもそうだというものです。そして、この時間を時間たらしめると感じさせていることが物事は常に「不可逆過程」にあるといことですね。過去は決して変えられない。元に戻れないのが時間だからだっていう考えです。こういう時間が一定方向にしか流れないことについて、物理学者は昔マジに、時間をそのようなものとして定義していたのです。これが、物理学でいうところの「絶対的時間」。まあ、これが、我々通常人の感覚ですが。
ところが、その時間の物理学的定義を否定してきたのが、有名なアインシュタインです。彼の一般相対性理論では、上記のような「 絶対的時間」 はこの世の中には存在しないのだと主張したのである。時間は決して誰にも同じようには進まないんだ。縮んだり、伸びたり、時間は結構自由なんだよって主張したんだよね。まあ、それは、宇宙物理学的なというか、高大な宇宙の世界にまで拡がると時間は決して誰にもどこでも一定に過去から未来に向かって同じように流れていることはないという話ではあるのだけれど。凄い指摘だよね。時間は相対的なものだっていう発言は。
「重力で時空がゆがむ、光のスピードに近づけば時間がのびる」というような辺りは誰もが聞いていることかもしれないけど。時間は絶対的時間ではないのだよと彼は指摘したのだ。この観点をベースに作られているのが、やはり、同じクリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』なのである。ここでも、時間についての深い考察があるのであった。時間は決して過去から未来へ一方的な流れていくというものではないと示唆しているのです。
今の物理学の世界では、時間を遡ることを禁止する物理学法則は見つかっていないらしいので、時間を「絶対的時間=過去から未来へ一定的に流れる」とする考えは、実は我々通常人だけの感覚の世界とも言えるのではある。偉い物理化学者達からすれば、時間は決して一定方向に流れるだけとも言えそうにもないのである。ならば、どうなるんだよ?という一つの解が、この映画『 TENET テネット 』にあったわけですね。時間は逆行できると。そして、この映画が面白いのは、物理学的なアプローチをしているところにあります。時間逆行するための方法って何があるのっていうところで、エントロピー減少現象を発生させるところに行き着いています。突拍子もない絵空事的007風映画というエンターテインメント作品でないところが、やはり、クリストファー・ノーラン監督の面白さなのです。ところが、このような映画が2021年に出てくるよりもはるか昔に、この日本の小説の中で、時間逆行を題材にしたストーリーを作っていた男がいたのである。それが、佐藤正午なのである。
佐藤正午:Y
この小説家佐藤正午の小説も、映画『 TENET テネット 』と同じで、1回読んだだけでは、時間逆行が起きているので、2つの流れをしっかり把握認識するのは難しい作品である。だが、そういう意味では、極めて、時間逆行に関して、映画のテネットと同じように、良く考え尽くされたエンターテインメント作品ですね。面白いに尽きる。
ある晩かかってきた一本の奇妙な電話。北川健と名乗るその男は、かつて私=秋間文夫の親友だったというが、私には全く覚えがなかった。それから数日後、その男の秘書を通じて、貸金庫に預けられていた一枚のフロッピー・ディスクと、五百万の現金を受け取ることになった私はフロッピーに入っていた、その奇妙な物語を読むうちにやがて、彼の「人生」に引き込まれていってしまう。この物語は本当の話なのだろうか?時間を超えた究極のラブ・ストーリー。
アルファベットのYのように分かれ道があって、その向こうに二つの世界が存在する。このことは誰しも思うことであるが、タラレバの話なのである。そして、時間逆行をするのである。佐藤正午が時間逆行タイムリープ小説を書くと、何故か、本当に世の中でありそうな感じがしてくるので、参ってしまうのである。アイリス・アウトでアイリス・イン。そして、リプレイするのか。もう一つの道の方へ行くこと。小説の中に小説があるという設定で時間逆行の世界を伝えてくるこの作家の上手い企みと仕組み。絶対的時間に対するアンチテーゼ。この小説で行き着くところの時間逆行では、人間は仮に過去に戻れたとしても、自分の関係した大事な人間はどうしたって、新しいリプレイの次元の世界でも自分に関係する大事な人間として自分の近くで生きていくということなのだ。この辺りに、切なさや郷愁が湧くのである。そこが、恋愛小説なのだ。どんなにSF部分があろうとも。
ということで、映画 『 TENET テネット 』 は時間逆行的スパイ映画で、佐藤正午の『Y』は時間逆行的恋愛小説ということで、30年以上の時間経過が絶対的時間として流れ、その中で、時間逆行に、ここに来て再度スポットが当たったのである。今回は、まあ、そんなところの話でした。
そんなこんなで、僕は、再度再度、クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』や『インターステラー』を観てみよう。そして、佐藤正午の『Y』や近頃の『津田伸一』三部作の『月の満ち欠け』『5』『鳩の撃退法』を再読してみよう。それしかないな。ある次元と時間に行き着くためにはね。なんてね。
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