谷川俊太郎恋愛詩①:ハードボイルド詩集館

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宇宙

さようなら、谷川俊太郎。

谷川俊太郎の詩はわかりやすい。そして、とことん、素直で正直で、とても優しい。だが、誰も同じように書けない。誰も同じように発言はできない。そのくらいに、とても、トコトンに、深い。だから、誰もが好きだ。

そんな谷川俊太郎の恋愛詩の中の気になる詩をここに記しておこう。誰かにとって、何かの足しになるかもしれないから。このブログで、この詩に初めて出逢ったなんて人もいるかもしれない。そんな人の為に、記しておこう。

夫が妻へ

おまえをみつめていると

わたしは男らしさをとりもどす

おまえの手はひびがきれ

おまえのくちびるのわきには

小さなしわがきざまれている

おまえの心は日々の重みに

少しゆがんでいるかもしれない

けれどおまえをみつめていると

私はやさしさをとりもどす

一日の新鮮さをとりもどす

おまえをみつめていると

おまえを守らずにいられない

あらゆる暴力から

あらゆる不幸からおまえを守り

こんなにも女らしいおまえを

こんなにもゆたかなおまえを

私は愛さずにいられない

きみに

ほんとうのこと言うと口紅は

ふきとっちゃったほうがぼくは好きだな

まぶたの上のその青っぽいやつもね

きみが見てるきみはいつも鏡の中のきみ

自分を見てる自分の顔だ

だがほんとうのきみは鏡の外にいる

そのきみのうしろを川が流れる

そのきみの頬にいま光が動く

そのきみをぼくはみつめる

きみがきみであるってことは

何て言えばいいのか筆舌につくし難いのさ

他にくらべるものがないからだろうか

電車の中でぼくの前に座ったきみ

定期をにぎった鼻ぺちゃのきみ

スモックのボタンがとれかかってるよ

きみをきれいだと言えば

ぼくは偽善者ってことになるんだろうか

だが醜いと言えば何になれるっていうんだ

きみが裸のマハよりも美しい瞬間を

ぼくはいくらでも空想することができる

ゴヤにはわるいけどね

あるときは昔のマンガい出てくる少年のように短く

それに飽きるとミソサザイの巣のようにもしゃもしゃになった

それからまるで滝のようにまっすぐ頭からすべり落ちる

だがどんなときもあなたはあなただった

あれは幾分かはアタマの中身を表現しているのかしら

「ヒトの形をしているからって油断は禁物

私は野原や炎や水やときにはケダモノにだってなれるのだ」

ということをぼくに向かって警告しているのかしら

あなたの髪にさわると気持ちがいい

まるで黒くひんやりとした流れに手をひたしているようで

ぼくは自分勝手なやさしさの幻影に酔いしれる

流れの深みであなたが考えていることには注意をはらわずに

あなたが髪を太い縄に縒ってぼくを墓石に縛りつけても

あるいはあなたの髪が全て蛇に変わっても文句は言わない

悪いのはあなたの心に気づかないぼく

でもお願いだ尼さんにだけはならないでおくれ

あなたの髪が風になびいていたあの夏の日のことを

ぼくは死んでも忘れられそうにないから

もし永遠という言葉が人間に許されるなら

その言葉をぼくはあの日のためにとっておくのだから

恋愛詩ベスト96『わたしの胸は小さすぎる』

上の3つの詩は、谷川俊太郎の文庫本詩集『わたしの胸は小さすぎる』にも収められている。

あなたの私を私は抱きしめる(新作詩「あなたの私」より)
デビューから60年以上現代詩をリードする世界的詩人の全詩作品から、愛と恋の宇宙を感じる詩、95作品を厳選。特別書き下ろしの新作詩1編も収録!
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